
東京都中央区日本橋蛎殻町1丁目。神道大教銀杏八幡宮。

八幡宮を祀る神社としては中央区で本宮が唯一の存在です。社号は境内にそびえていた大銀杏に由来(大正12年9月の関東大震災にて社殿共々焼失)。

手水舎(昭和25年・三つ葵紋)と社殿。

御祭神は誉田別尊。創建不詳。かつて稲荷堀と土井堀と呼ばれた掘割に挟まれた場所。現在の銀杏八幡宮境内地は延宝年中(1673-81)の頃、安藤対馬守家の中屋敷(約15,000坪)。社殿を建立して御祭神が祀られた時期は田沼主殿頭意次が安藤対馬守家に代わって屋敷を構えた安永4年(1775)と伝えます。文化5年(1808)以降に酒井雅楽頭家の中屋敷となります。明治6年に土地が2つに分割され、屋敷跡の北側(2,633坪)は西郷隆盛、南側は越前福井藩17代藩主松平茂昭の屋敷。

社伝によりますと御祭神を社殿にお祀りしたのが安永4年(1775)9月27日。その当時境内には天空を覆う鬱蒼とそびえたつ大銀杏があり、その樹齢は300-400年と見られていたことからそれ以前の創建と考えられます。本宮は旧福井藩常盤橋松平氏の御屋敷の鎮守として祀られ、松平家はもとより家臣の崇敬を集め、武運長久・家運繁栄を祈願されていました。その後、松平家の領地に住む蛎殻町民の熱烈なる信仰により、郷土の氏神様となり、年々敬虔なる真心をもって祭祀を守り終戦。戦後に祀職森田耕造が宗教法人令に基づいて宮委員会の決議をもって神道大教院所属銀杏八幡宮を設立。昭和21年12月15日宗教法人法による東京都知事より認証を得て現在に至ります。

なお、蛎殻町に生まれた谷崎潤一郎が『幼少時代』(昭和30年)にて銀杏八幡のお神楽が月に一度の楽しみだったと記しています。

社号標紀年銘(昭和甲辰年11月吉祥・昭和39年)。

鳥居紀年銘(昭和25年4月)。

社務所かな。

不明の石。

銀杏稲荷神社。

現在は境内社となっていますが、銀杏稲荷神社の方が古いとされています。記録としては安永3年4月10日の記録があり。よって銀杏稲荷神社は安藤対馬守家の頃から屋敷内に祀られていたものと考えられます。

御祭神は豊受大神。

手水石。

こちらは井戸でしょうか。

狐二対。


昭和殉國英霊碑(昭和28年9月秋分日)。

裏面御英霊芳名(57名)。

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