東京都新宿区内藤。御祭神:藤原鎌足公。相殿神:武甕槌命・経津主命・天児屋根命・姫神・内藤家歴代祖霊。
社号標・石鳥居(文政6年)など。
『当社は、江戸初期に初代内藤清成氏が屋敷内の地(現在の新宿御苑)に家祖である藤原鎌足公を祀り、(内藤神社)を草創したことに始まり、また藤原氏の氏神である奈良の春日大社より、経津主神、武甕槌神、天児屋根神、姫神の分霊を勧請合祀してあります。明治19年に新宿御苑の地より現在地へ移設、遷座され今日に至っています。当初は武州多武峯神社と称していましたが、昭和42年5月に多武峯内藤神社に改称されました。』
手水舎(下がり藤の御神紋)。
狛犬一対(寛政5年11月15日・石工弥助)。台座下がり藤紋。
社殿。
稲荷神社。神額は「稲荷大明神・八幡大菩薩」。狐一対は嘉永元年建立。
主祭神は倉稲魂神。相殿神として八幡神、大国主神、市杵嶋姫神を祀ります。
神楽殿。
社務所。
駿馬舎。
木彫の白馬・内藤修理亮清成公の愛馬。
駿馬塚。文化13年(1816)建立。新宿区登録有形文化財。
『内藤清成の駿馬の伝説にかかわる石碑である。徳川家康は江戸入府後、家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を示し「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と語ったという。清成の乗った駿馬は、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果て死んでしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられる。後に内藤家の森林の管理役となった中家休昌と木下正敷が、文化13年(1816)8月に樫の古木の跡に塚を造り、駿馬塚の碑を建てた。碑はその後、明治5年(1872)9月に現在地に移されたものである。』
古そうな石燈籠。歴史を感じます。
鉛筆の碑。
『この地(多武峯内藤神社西方付近)は、明治20年(1887)に佐賀藩出身の眞崎仁六が眞崎鉛筆製造所(現・三菱鉛筆株式会社)を興し、鉛筆の製造を始めたところです。30年後の大正5年(1916)に品川区東大井に移転するまで、ここで鉛筆製造を行っていました。創業時は玉川上水の分水であり、現在は暗渠となっている渋谷川を利用した水車を動力にして、ここで鉛筆が造られていました。』
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