イメージ 15
浄土宗終南山光明院悟真寺。
イメージ 16
奥州南部糠部二十五番札所。聖観音。「終南山のぼりてみれば悟真寺の佛を拝む身こそ安けれ」
イメージ 17
御本尊は阿弥陀如来。寛永4年創建。
イメージ 18
八日町南側裏手馬喰町。浄土宗大泉寺末、光明院悟真寺の開山は、鉄堂和尚で宝永5年8月18日寂と言われています。本堂に安置している阿弥陀如来像は、寺伝によりますと信州善光寺、四天堂建立の際に作られた尊像であると言われています。悟真寺は享保年間に八日町の大火に遭い、重宝、古記録を全て焼失。檀家には松尾長者の一族をはじめ、三戸町の大商家があり、その墓地は山崖に沿って階段式に整然としています。その他会津藩士の招魂碑や学者松尾駿淵の墓なども見られます。糠部三十三番のうち二十五番札所の観音堂があります。古老の語り伝えによりますと、この観音は町民の信仰が厚く、かつては月の17、18日は縁日で、善男・善女で賑わったそうです。
イメージ 19
会津藩士の招魂碑。
イメージ 20
碑文は見にくくて読み取れませんでした。
イメージ 21
会津藩士・戊辰殉難者招魂碑由来碑…『一.建碑:明治27年(1894)8月23日。二.建立者:旧会津藩士(斗南・となみ・藩士)三戸移住者一同。三.碑文:題字松平容大(かたはる・旧斗南藩藩主)。撰:南摩綱紀(高等師範学校教授・旧藩士)。書:渡部重乕(じゅうしん、道雲・乕次郎・第三代三戸小学校長・旧藩士)。四.碑文概意:明治戊辰の戦乱、既にして国境守を失うや、天下の大兵を孤域に受け、死守故旬、白虎団結し、婦女隊を成して激闘、骨を原野にさらす者幾千人。乱平らぎて後、生くる者一視同仁の澤(たく)をこうむり聖世に衣食し、死せる者独りその恩に浴す名を得ず。洵に悲しむべし。茲に二十七回忌辰の為に、南部三戸に移住せる旧藩士あいはかり、碑を建て、その事を録し、もって後世に伝え、かつその魂を招き、これを祭らんとす。五.注記:一.戊辰(ぼしん)戦争戦死者数二九七七人。(「會津殉難者名簿」による)。慶應四戊辰の年(一八六八・一月三日)鳥羽伏見の戦いより、同年(一八六八・明治元年)九月二十三日、會津鶴ヶ城開城まで、九ヶ月間の戦死者。右の他、斗南藩移住の途中並びに直後の死者、後日、佐賀の乱、神風連の乱、萩の乱及び思案橋の変、西南の役参加等明治維新の会津殉難者凡そ五千人。その数日清戦争の戦死者以上という。碑の石材二箇は古城址城山の石、一箇二十銭也。運搬に難渋。人夫三十人。旧藩士応援。板、コロ、綱、雪、舟形のもの等を用い、通称ヘコの鼻より桐萩におとし、二日を要して悟真寺に達す。労酒五升を追加すること数度。当寺間宮俊冏+一(けい)住職成功を祝して一句あり。みなともに后生(五升)願へり樽枕。』※読みにくかったので間違っているかも知れません。
イメージ 22
三界萬霊碑。
イメージ 23
「終南山登りて見れば悟真寺の佛を拝む身こそあけれ」(昭和38年7月3日)
イメージ 24
観音堂。
イメージ 25
イメージ 26
奥州南部糠部二十五番札所。
イメージ 27
聖観音。
イメージ 28
イメージ 29
水洗観音。
イメージ 30
本堂。
イメージ 1
イメージ 2
県重要文化財「阿弥陀如来立像」(彫刻・昭和56年4月18日)…『この仏像を本尊とする悟真寺は、寛永4年(1627)、鉄堂和尚によって創建されたと伝えられます。寛文11年(1671)辛亥正月、当寺十二世好誉上人の代に作成された「縁起」(『糠部五郡小史上巻』所収)に「御本尊は、信濃善光寺四天堂の中尊にして、かたじけなくも聖徳太子の御作なり」と記載がありますが、造形の様式から、実際は平安時代後期~鎌倉時代初期の作と考えられます。当仏像は、同じ材木を組み合わせて彫る「割矧ぎ造り」で、材質はヒノキ科、表面には漆や金箔が施されています。悟真寺は、享保19年(1734)と天保9年(1838)に本堂を焼失するほどの大きな火災に遭いますが、時の住職は燃えさかる炎の中から、仏像を救い出しています。仏像の表面には、その時の焦げ跡がみられる煤が今も残っています。』
イメージ 3
高さ78.8cm。
イメージ 4
聖観音。
イメージ 5
稲荷堂。
イメージ 6
洞窟観音があります。昭和34年建立。これって防空壕なのかな。
イメージ 7
境内の洞窟には西国三十三観音霊場の聖土を勧請するとともに、同じく三十三体の観世音菩薩石像を建立安置。
イメージ 8
三十三霊場の巡拝を行ったのと同様の功徳があると言われます。
イメージ 9
イメージ 10
奥にある一際大きい像は阿弥陀如来坐像。
イメージ 11
入れるようになっているみたいけど…有難いものなんですが…何か怖くて入れませんでした。コウモリとかいそうで。※参拝時、特に立入禁止等の看板はありませんでしたが、後からの調べでは、現在崩壊の恐れがあるため入れないとか。そっちの理由の方が怖かった。
イメージ 12
イメージ 13
イメージ 14
イメージ 3
イメージ 2