
今回紹介するのは奥宮(本殿)です。里宮・神祇閣(拝殿・社務所)は岩ケ崎四日町にあります。

鳥居前にある石祠や庚申塔など。

社号標・鳥居。

参道。最初はやばそうな山道?って思いましたが、とても綺麗に整備されていました。

参道途中にあった亀名石(昭和5年旧3月10日奉納)。

大変立派な亀石でした。

参道脇にあった御社殿修復記念碑、村社熊野神社御坂改造紀念々碑(昭和9年旧9月19日)など。

石段と石灯篭一対。

鎮座地はかつての岩ケ崎村。元和年間藩主政宗の五男宗綱が鶴丸城に入ります。以後の領主は寛永頃六男宗信、その後、石母田大膳・田村宗良・古内主膳・茂庭大蔵と続き、元禄7年中村日向が3000石を給され領主となり明治に至ります。栗駒山麓の当地は古くより馬産地として栄え、栗駒山の駒形の残雪は神馬のこもる所と信じられ駒形根神社が祀られました。天正19年藩直営となり桜馬場に上・下馬場が設けられ藩主の御用馬などもここで競売されました。桜馬場は東西300間・南北17間の広場で両側の土手に桜が植えられていたと伝えます。鎮守は熊野神社、寺は坂上田村麻呂勧請、寛永2年に藩祖政宗の参詣があったと伝える真言宗智山派音羽山延通院清水寺、伊達宗綱城主のとき政宗中興開山といわれ桃山式建築の山門を持つ浄土宗名越派摂取山円鏡寺、城主中村家の菩提寺曹洞宗明峰派旗本山館山寺、伊達宗信・石母田大膳・古内主膳・茂庭大蔵の墓がある曹洞宗太源派熊野山黄金寺、天保飢饉の供養碑のある曹洞宗太源派月峰山洞松院など。

主祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。


延暦10年(791)に征夷大将軍坂上田村磨呂の東伐下向の際に勧請され建立と伝えます。

明治以前は熊野山黄金寺境内に在りましたが、明治4年に現在地に奉遷。同5年11月村社。以来、岩ヶ崎の鎮守、縁結びの神、安産の神として県下一円より崇敬されてきました。古くは伊達藩主の城下町と栄えた関係上、交通安全の守護神と祀られており、車両の安全祈願の参詣者が年々多くなったそうです。

新しいものから昭和7年、天明2年旧9月17日(社殿に最も近い灯篭)など、様々な年代の石灯篭が奉納されていました。


手水石(文政)。

石祠。

拝殿向拝下。

幣殿・本殿覆屋。


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