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米沢市御廟1丁目。上杉家廟所のすぐ西側。※鳥居前の石灯籠一対の紀年銘は大正15年7月7日。
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手水舎。
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古峰神社碑。
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凱旋紀念碑。
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延徳年間頃、この地に住んでいた浅井権太夫という大富豪が、紀州の熊野権現から分霊を受け、屋敷内にお堂を建てて祀ったのが始まりで、毎年8月には境内で大々的に盆踊りが開催され、初日は氏子が揃って、上杉家御廟所及び法音寺に参拝することが慣例となっています。
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境内は御廟児童遊園を兼ねているようです。
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社殿と御神木。
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社殿正面。
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社殿内。暗くてよくわかりませんが、古い拝殿があるように見えます。
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拝殿向拝下にある由緒より…『祭神:伊弉册命・速玉男命・事解男命。由緒:足利時代、伊達氏が米沢を治めていた頃の延徳年間(1488-1491)この地(当時武器屋敷村といった)に浅井権太夫という郷士が住んでいた。彼は情深い大富豪でその恵みをうけた地方民は彼を尊敬して長者様とよび屋敷も長者屋敷とよんだ。権太夫は若いときから紀州の熊野権現を熱心に信仰していた。ある年、感ずるところあって紀州に参詣し熊野権現の分霊を願いお移しして屋敷内に大規模なお堂を立ててお祭りし近郷の鎮守神として崇め奉った。神威高く霊験あらたかに人々の尊崇もまた大きかった。戦国時代・織田、豊臣時代を経て徳川時代の宝暦元年(1751・寛延4年と同年)4月中、御廟町の皆川文四郎・高橋津右エ門・長沢孝七・倉重庄次等によって修理(本殿内の石宮は当時造立)され、その後安政2年(1855)7月中、氏子有志が集って再建したのが現在のお宮である。なお、末社の岩菊稲荷大神は宝暦2年4月皆川文四郎が造立奉ったお宮である。』
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幣殿・本殿覆屋。
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古神札納所(昭和42年7月6日)。
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岩菊稲荷神社。
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宝暦2年4月建立。
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庚申塔(寛政12年4月)。
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その他、馬頭観音・庚申塔。
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