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上杉神社境内社の福徳稲荷神社。
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上杉神社本殿横、稽照殿裏に鎮座。
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狐一対(平成5年7月吉日)。
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石灯篭一対(明治12年)。
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福徳稲荷神社は享保10年(1725)上杉宗憲公が二の丸に建立し、以後歴代の藩主が崇敬。特に鷹山公は篤く信仰されており、木彫りの「正一位稲荷大明神」の神額を寄進。神額は上杉神社の宝物殿に保存されており、復刻したものが社殿に掲げられています。
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天明6年(1786)2月11日には鷹山公をはじめ、男女百人が詠んだ一題一首の歌を扁額として奉納。和歌百首を記した扁額は残っていませんが、その後、復元してお社に掲げられています。
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福徳稲荷大明神縁起…『【御祭神】宇迦之御魂大神。【沿革】今より230年前の享保10年に上杉宗憲公が城内の鎮護として二の丸に勧請され爾来歴代の御崇敬があった。明治9年5月鷹山公の御信仰あつかった三の丸稲荷祠を合祀して上杉神社境内に移し末社といたしました。大正8年の大火に御本社は炎上したが稲荷社のみは火難を免がれたのであります。福徳講中の發起にて昭和12年に社殿改修、同27年拝殿増設、同30年御屋根修理、篤信の人々霊験のあらたかなるに感じ、年越追うて社頭に詣でる者朝夕相踵ぐに至った。【霊験記】古誌に傳わる竒しき霊験物語がある。時は元文5年(1740年)のこと。宗房公の時。将軍家から御鷹の鶴拝領があり御請けの飛脚を立てたが、御祐筆所で本書と案書とを取違えて大失態を演じ措置に窮した時御城代岩井大膳元則の飯綱の修法にて神使白狐の懸命のはたらきとなり遂に大難を免かれたのであります。其遺骸は大膳の申立にて櫃に納めてこの稲荷祠に祀られました。【宝物】鷹山公御親筆神額(木彫)、寒松軒画飯綱の舞(一幅)。昭和39年7月福徳講社』
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福徳稲荷会館。
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福徳稲荷神社奥乃宮。
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奥宮内。
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奥宮隣には辨天宮もありました。幟には市杵嶋姫弁天大神とあります。
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中には石祠が3基。ただの憶測ですが、宗像三女神(市杵島姫神・湍津姫神・田心姫神)かも知れませんね。
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