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東京都中央区日本橋富沢町。鳶沢某が開いた地なので鳶沢町と呼ばれ、後に富沢町になりました。鳶沢某は江戸初期の盗賊で、家康に捕えられたが助命され盗賊詮議の役を命じられました。鳶沢は改心して配下の者を呼び寄せ、古着屋仲間を作り鳶沢町を作ったと伝えます。鳶沢が町屋を開いた状況は「遊女町のかたわらにて地を給り、葭原を開きて居宅となし、かのふる着をあきなうを業とし」と落穂集にあります。後に大いに賑わったことから鳶を富と改めたそう。古着市は日本橋の魚市、神田多町の菜市と並んで早くから知られ、夜の明ける頃から家の前にむしろを敷いて、古着を山のように積んで商いをしたそう。元禄14年末には古着屋仲間組合が結ばれ、明治14年神田岩本町に古着市が移転するまで繁華街として続いたそうです。wikipediaには、江戸時代にこの一帯に住んでいた古着屋の元締めである鳶沢甚内という人物がいたことから、鳶沢町と呼ばれ、後にそれが訛って、又は字を改めて「富沢町」と呼ばれるようになったとあります。
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御祭神は倉稲魂命。創建不詳なれど、かつては巴熊稲荷神社と称していたそうです。特に案内板も無く由緒不明のため、巴熊の由来についてもわからず。
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恐らくこういうことかと思います…ごめんなさい。
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明治6年1月16日に神田神社の兼務社となっています。その後戦災にて焼失。昭和7年に周辺の新大坂町・弥生町・高砂町・元浜町の全部あるいは一部を編入。昭和25年には元弥生町・新大阪町・元浜町3ヶ町それぞれの稲荷社が合祀され、富沢稲荷神社と改称され現在地に再建。
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境内社の初姫稲荷神社。
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徳川秀忠四女興安院初姫以外に思い浮かびません。合祀に関わるいずれかの神社かと思いますが、いずれにせよ由緒はわからず。
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はたまた元吉原に関連している可能性もあります。古地図を見るとこの地区は元吉原一帯なのです。吉原は明暦の大火後に浅草に移ります。隣町には高砂町なども見えますが、この付近には歌川国芳やお富、鼠小僧も住んでいた場所です。
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「フイカフイナリ」や「クマカエイナリ」、更にその下にも「イナリ」と見えます。「クマカエイナリ」が「巴熊稲荷」かとも思ったのですが、恐らくこれは熊谷稲荷(現存せず)でしょうね。「フイカフイナリ」は鞴稲荷(現存せず)でしょう。いずれにせよ絵図を見てもこの付近は稲荷だらけでよくわからず。
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