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天明8年の菅江真澄の『外が浜づたひ』には、「二ツ屋、杉の浦に至る」と見え、『錦の浜』では「こは秋もはや深泊あまの屋のひとつ二屋杉今津く」と詠んでいます。
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伊能忠敬の『測量日記』では石浜7軒、深泊16軒、二ツ谷12軒、杉9軒と見えます。また、嘉永3年の松浦武四郎の『東奥沿海日誌』では「二屋村、人家二十軒斗、皆漁者なり、此辺内海にして波甚穏也、扨越て行まゝ又暫くにして深泊り村、同じく人家二十軒斗、並て石浜村、同じく漁者のみ也、人家十軒斗にして随分富る様子也、さて此処にてはたご屋を聞しに、今一り半斗も蟹田迄行ねばなしと云まゝに如何はせんと云ければ、幸其処に網を干しける老人すぐに我家に来り玉へと云て泊りけり」とあります。
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深泊稲荷神社の創建は不詳。御祭神は保食神。貞享4年検地水帳に見えます。安政2年村中再興。寛政15年(戌午)の棟札あり。例祭日9月10日。
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明治6年3月に船岡久須志神社二ツ谷稲荷神社石浜稲荷神社を合祀し、同8年2月にいずれも復社。
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昭和12年頃、県下第2位という祭祀用大幟が奉納されており、それを見ようと近在の人々が参詣していたそうですが、現在はその面影はありません。
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例祭日には海上運航による神事が行われ、海の神へ海上安全・大漁を祈願をします。
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社殿の色使いが中々派手です。妻面の蟇股に白狐。
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向拝蟇股・木鼻。
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拝殿内。
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本殿。
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本殿横の小祠。
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龍。
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鱈刺網船遭難の懸額が奉納されています。これは明治39年12月19日に前沖で発生した遭難事故を描いたもの。大暴風雪となり、4隻のうち2隻は避難したものの、2隻は荒波にもまれて風下へ押し流されました。その2隻のうち17名が死亡し、1名だけが奇跡的に助かりました。懸額は生き延びた乗組員たちが奉納したものです。
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こちらの懸額は昭和3、4年の大豊漁に感謝して漁師たちが奉納したものです。鱈刺網船遭難の懸額もこちらの懸額も当時を知るうえでとても貴重な資料となっています。
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社号標(大正15年3月10日)。
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石灯篭一対。
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文久2壬戌年建・海上安全。
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狛犬一対(昭和12年6月10日)。
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狐一対(昭和13年旧6月10日)。
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こちらの小祠は中に石碑が見えていました。
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猿田彦大神のようです。
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祠の横の石碑も猿田彦大神(明治20年8月)。
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こちらは読み取れず。
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末社龍神宮。
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海へ繰り出す家族の帰りを待つ女性たちが、無事に戻ることを祈願する場所として創建され、現在も女性たちによって信仰が守られているそうです。
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龍神宮内の意味深な絵馬。
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深泊稲荷神社の境内からの眺望。
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こちらは平舘石浜尻高川の町村境ほどにあった祠です。
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結構立派な小祠です。何なのかは不明ですが。
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千木が外削ぎ(男千木)、鰹木が3本ということで男神であると推測はできますが。
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台座を見ると、祠はかつて2つあったようです。
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