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東京都中央区日本橋浜町2丁目。
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茨城県笠間市の笠間稲荷神社の東京別社です。日本橋七福神めぐりの一社で寿老神が祀られています。
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写真では少しわかりにくいかも知れませんが、入口が2ヶ所あります。
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境内から見るとこんな感じ。
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御祭神は宇迦之御魂命。
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紋三郎稲荷とも称せられる旧笠間藩主牧野氏の邸内社でした。延宝9年、牧野成貞が五代将軍綱吉公から下屋敷として拝領した土地で、現在の久松警察署前の小川橋・蛎浜橋辺から隅田川に至る21,269坪(約70,000平米)の広さがあり、邸内には広大な屋敷と庭園、泉池を設け、築山には稲荷・山王・八幡を祀られていました。綱吉公は、生母桂昌院娘鶴姫等と共に30数回に亘り成貞邸を訪れており、 総勢450余名の実に物々しい行列だったそうです。浜町の牧野邸はその後替え地が行なわれ、文化7年には7,900坪(26,000平米)となり、その年1,350坪(4,450平米)を細川越中守に譲り隣合わせとなっています。延享4年に牧野貞通が笠間に入封しますと、先例にならい御本社胡桃下稲荷神社を祈願所としました。牧野貞直公も御本社を崇敬し、安政6年に御分霊を江戸下屋敷内の現在地に合祀奉斎し崇敬の誠を尽くしました。初午の日には日本橋界隈の市民に門戸を開けて参拝を許したといわれています。 廃藩後、牧野公邸は本所緑町に移転し、明治21年には牧野家の願いにより、笠間の本社が奉祀する所となりました。東京別社は大正12年9月に関東大震災で社殿を焼失するも直ちに再建されています。昭和20年3月の東京大空襲でも社殿が焼失し、復興には大変苦慮しましたが同年12月に本社の援助により御本殿と仮社務所が出来上がり、同28年9月には御崇敬者の尽力により拝殿再建。同32年には社務所、翌33年には玉垣、同53年には幣殿が完成し現在に至ります。日本橋を中心に紋三郎稲荷として篤い信仰を集めると共に、京浜地区の笠間稲荷神社の崇敬者に参拝の利便を計っています。末社として寿老神社があり、御本殿に向かって左側に七福神の一神寿老神がお祀りされています。寿老神は長寿・お導き・幸運の神様として運命を良い方向に切り開いて下さる福徳長寿の守護神です。同じく境内社として牧野家の臣藤井監物を祀った晴雲神社が御社殿内(向って右側)にあります。
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相川七瀬さんと言えば神社好きとしても知られていますが、その相川七瀬さんデザインの笠間稲荷限定オリジナル御朱印帳が人気のようです。
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手水舎。
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何かはわからない石。狐が出てきそう。
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狐がたくさん。きちんと対になっています。
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一番手前の狐…躍動感に溢れていますね。
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