イメージ 38
野瀬正観世音。三戸町梅内野瀬。場所がわかりにくいです。一番わかりやすく説明するならば、三戸望郷大橋を渡って少し北へ進んだ所(梅内駒木地区)から未舗装の道へ右折。車で行けます。三戸望郷大橋の案内板を使って説明しますと…
イメージ 39
この辺り(★印)に参道入口があります。
イメージ 40
つまり★印の所からこんな感じで未舗装の山道を只管進みます。未舗装のため長く感じますが悪路ではありません。しかも一本道なので迷う要素はありません。ちなみに下図の赤線はイメージです(笑)もしかしたら地図にある林内散策路かも知れませんね。交流施設なるものが見当たらなかったのでよくわかりませんが。
イメージ 41
参道入口。
イメージ 42
消えかかってますが参道入口にはこのように「野瀬正観世音」と書かれた小さな案内板があります。
イメージ 43
参道入口案内板前から見た三戸望郷大橋方面。写真奥の右カーブの先がすぐ三戸望郷大橋です。
イメージ 44
参道途中の岩肌が見える所で断層休憩。
イメージ 45
イメージ 46
断層休憩という言葉はございません。
イメージ 47
イメージ 48
また、しばらく進んで三叉路が見えたらゴールです。三叉路の左側に野瀬正観世音。右側は普通の農家の私有地っぽい所でした。
イメージ 49
そこで畑仕事をしていたおばあちゃんに「観音堂の中入るか?」って聞かれましたが、忙しそうなのでお断りしました。御朱印集めもしていませんし。っていうか観音堂を開けることができる方なのですね。恐らく観音堂を管理している工藤家の方でしょう。もちろん内陣の御開帳ではなく、拝殿までです。拝殿内で拝みたい方は声をかけるといいでしょう。
イメージ 50
三叉路から来た道を振り返ると、左側にもう1本の道がありました。三叉路じゃないですね。この道は果たしてどこへ着くのだろう。未確認です。
イメージ 51
ちなみに私はこちらから来ました。
イメージ 52
さて、三叉路左の道へ。
イメージ 53
野瀬正観世音。
イメージ 54
冠木門の額束には草書体で「金華山」とあります。案内板によりますと元々は金花山満福寺というそうです。
イメージ 55
正観世音廿一番糠部札所標柱(昭和59年7月22日)。
イメージ 56
御詠歌が書かれています。少々達筆ですね…「今ぞ聞く松吹風や金花山 梢に琴の調べありとは」かな。
イメージ 57
石段両脇に紫陽花が咲いています。紫陽花の見頃にくれば綺麗かも。
イメージ 1
っていうかあまりに山奥にて、いつが見頃かわかりませんが。
イメージ 2
イメージ 3
南部糠部三十三番観音21番札所。長久元年(1040)もしくは建久2年(1191)建立。山岳信仰の真言宗であったと考えられ、神仏混淆のあとが残されています。南部利直公の信仰が厚かったといいます。管理者の工藤家は南部の工藤氏の総本家であり、先祖は工藤次郎左衛門尉祐経であったと伝えます。小中島に住んでいましたが、元和3年(1617)4月、27代南部利直公の命により35石2斗5升を賜り、観音堂の管理と「かぎかけ」の役を仰せつかりました。「かぎかけ」とは当時野瀬を通って、九戸・八戸・三戸を結ぶ重要な街道筋に三方塚があり、そこを通行する人々を取り調べる役。工藤家はいわば関守であったといわれます。観音堂の厨子は周囲が黒の花札で張り巡らされており、「刈田堂(カルタ堂)」とも呼ばれ、バクチの神様としても親しまれています。堂の中には石があり、持ち上げると願いが叶うといわれています。御開帳はかつて60年に1度でしたが、30年に1度となり、現在は10年に1度となりました。
イメージ 4
ちなみに広報さんのへ(平成22年9月)の表紙が御開帳の際の写真を使用しています。
イメージ 5
案内板(上部)より…『奥州南部三十三番観音霊場第廿一番野瀬正観音堂。旧金花山満福寺。御本尊正(聖)観音菩薩。創建は長久元年(1040年)或は建久2年(1191年)といわれる。創建以来工藤氏が代々堂守の任に当っているが、当地名名久井、軽米等に通ずる交通の要衝であるので堂守及び関守の役を兼ねていたともいわれる。元和3年(1617年)第27代南部大守信濃守利直公より黒印状を賜った。内陣の御厨子は外部一面花札が張りつめられているので、刈田堂(カルタ堂)と呼ばれる。「祈る世に松風吹くや金花山 梢に琴のしらべありとは」』
イメージ 6
同じく案内板(下部)より…『馬頭観世音由来…馬頭観世音菩薩は馬頭明王とも呼ばれ家畜特に馬の守り本尊として厚く信仰されて来た。また馬は戦場における武士の乗物であったので除病息災のほか武士の武運も祈られていた。糠部は古来名馬の産地として名高いが宇治川の先陣を争った「磨墨」(するすみ)源義経の乗馬「青海波」(せいがいは)などは「三戸立」の駿馬として知られている。小中島の牧場管理に当っていた(現在も上馬場、下馬場、赤馬立(アカマデ)等の場所がある)工藤家では正観世音と共に馬頭観世音を祀っていたが御本尊は約400年前の火災により焼損したままのため此の度信徒一同相諮り馬頭観世音の御本尊を新しく奉安し家畜の守護、交通安全の守護を深く祈念し奉るものである。昭和23年9月27日』
イメージ 7
イメージ 8
野瀬正観音堂。
イメージ 9
向拝。
イメージ 10
額束。
イメージ 11
堂宇内。真っ暗。やっぱり開けてもらえばよかったな。
イメージ 12
ちなみに横にも参道があります。
イメージ 13
鳥居。
イメージ 14
イメージ 15
女坂のように緩やかな石段。
イメージ 16
こちらも紫陽花だらけ。
イメージ 17
横から来ると稲荷神社が正面ですね。
イメージ 18
稲荷神社。
イメージ 19
イメージ 20
社殿前に石。
イメージ 21
イメージ 22
社殿内。棟札は見えず。
イメージ 23
野瀬正観音堂前にあるほぼ直角に枝が伸びている木。
イメージ 24
石塔一対。
イメージ 25
イメージ 26
「南無阿弥陀佛」「五戸庄沢田村樋口ノ庄之助」などと彫られています。
イメージ 27
イメージ 28
紀年銘は寛政8年。
イメージ 29
石灯籠。
イメージ 30
イメージ 31
イメージ 32
稲荷神社前にも石塔。
イメージ 33
状態はあまりよくありません。
イメージ 34
宝暦5年などの紀年銘が見えます。
イメージ 35
イメージ 36
イメージ 37
イメージ 3
イメージ 2