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随神門(国重要文化財)。左右に随身像を据えた二階建ての門。妙法院宮尭然親王筆の「東照宮」の扁額が掲げられています。
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随身像。
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御神橋石段燈籠復元工事寄附者御芳名碑(昭和48年11月17日落成)。
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石垣前石灯篭。詳細は其之壱参照下さい。
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神楽堂。東照宮神楽奉納(春祭・4月第3土曜日、日曜日)は仙台市の登録無形民俗文化財。門前町・宮町の方々を中心に現代に継承されています。
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神輿堂。神輿4基を納める建物で、中でも創建時に江戸から御神体を運んだ東照宮神輿は東北一の大きさと言われており、藩主在仙の年に行われた仙台祭において仙台の城下町を一周しました。神輿渡御は元は明暦元年(1655)に始まり、江戸時代末期まで続いた仙台祭であり、明治時代に中断するも大正10年4月に再興。昭和29年(1954)に斎行。昭和59年から5年に1度実施。
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更に石段を上って拝殿前へ。
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拝殿前石燈籠一対。伊達忠宗公奉納の灯籠であり、石鳥居と同じく岡山県犬島の花崗岩が使われています。拝殿焼失時の火災により上部が黒くなっています。
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手水舎は宮城県有形文化財。宮城県最古の手水舎建築。
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手水石は石鳥居と同じく岡山県から運んだ花崗岩。北側の梁の黒くなっている部分は拝殿焼失時の火災によるものと考えられます。
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手水舎附水盤(県指定有形文化財・昭和39年9月4日指定)…『承応3年(1654)造。木造、欅材、木地呂塗。屋根切妻造銅瓦葺。水盤は備前国大島産の花崗岩で出来ています。手水舎は参拝の前に口と手を水で洗い、心身を清めるところです。』※手水の作法は省略。
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拝殿から見た随神門。
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仙台東照宮は承応3年(1654)、仙台藩初代藩主伊達政宗公の世継ぎである2代藩主伊達忠宗公が創建。東照大権現(徳川家康)を祀ります。旧社格は県社。御神徳は開運厄除・家内安全・学業成就・商売繁盛・必勝祈願など。
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仙台市都心部から見て北に横たわる七北田丘陵の南部は、広瀬川の侵食により河岸段丘になっていますが、同丘陵から仙台平野に突き出した樹枝状丘陵の1つが玉田崎と呼ばれており、この標高約50mの玉田崎に仙台東照宮は鎮座。台原段丘面に社殿が造営され、段丘崖を参道としています。参道前の鳥居周辺は台原段丘面から約10m低い仙台上町及び中町の両段丘面であり、ここには別当寺の仙岳院(天台宗・仙台藩の筆頭寺)などがあります。門前から南に宮町通り・東六番丁・清水小路が直線的に通じ、広瀬川を超えて愛宕山(仙臺総鎮守愛宕神社)と相対します。なお、東照宮の造営以前には天神社(榴岡天満宮)が鎮座。天正19年(1591)に葛西大崎一揆の鎮圧の帰途、徳川家康が天神社の境内で休息したことにより、ここに東照宮を建てる縁になったと伝えます。なお、天神社は東照宮建立のために榴ヶ岡に移転。仙台城の正確な北東(艮)の位置にあたり、まさに伊達家、仙台城下町の守護神として鎮座しています。
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伊達忠宗公が将軍徳川家光公に願い出て直々に許可を得て、慶安2年(1649)8月から工事が始まり、承応3年(1654)3月に完成。別当寺仙岳院などを含む15棟以上の社殿を80万の人手と金2万両を費やしました。以来、伊達家の守護神として祀られ、仙台藩の手厚い保護を受けました。明治になり一時荒廃するも氏子の力添えで再興。明治12年(1879)に郷社、大正5年(1916)に県社。例祭日は4月17日(徳川家康公の命日)。重要文化財建造物としては本殿・唐門・透塀・石鳥居・随身門がありますが、いずれも創建時のもの。本殿以下の4棟は昭和28年3月に国の重要文化財に指定され、随身門は昭和55年1月に追加指定。昭和52-53年に唐門と透塀、昭和54年に本殿の修理が行われています。幣拝殿・神餞所は昭和10年8月に火災で失われており、昭和39年に復元再建。
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拝殿扁額。
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案内板より…『○重要文化財唐門・透塀(昭和28年3月31日指定)…唐門は1間1戸の向唐門、銅瓦葺。正面円柱、背面角柱、花崗岩の礎盤の上に立つ。天井と垂木の間、蟇股、扉の綿板に金箔を押す。蟇股に牡丹の花、扉の綿板には沙綾形模様を彫出し、鳳凰、麒麟、唐獅子の浮彫を付ける。鳳凰は動乱の世を鎮める明君の象徴で、牡丹は富貴善美を表わしている。彫刻部分に生彩色を施し、破風板、木口等要所に飾金具を取り付けた、形態的均衡をえた流麗な門である。透塀は1周延長44間(79.4m)、銅瓦葺。花崗岩の基壇上に土台を廻し、角柱を建て、腰長押、内法長押を付す。襷文、連子窓は黒漆塗。長押には飾金具を付ける。○幣拝殿…弊拝殿は御神前に弊帛や献上物を捧げ、祭祀を行う為の社殿である。大きさは3間2間、背面に1間1間の幣殿を設け、屋根は入母屋造銅瓦葺、軸部は頭貫・長押・板壁の和様で桟唐戸が付く。創建当初の幣拝殿は昭和10年8月6日、失火で焼失し、現在の社殿は昭和39年11月に、氏子崇敬者の尽力により原形に復興された建物である。』
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唐門・透塀前にも石灯籠。詳細は其之壱参照下さい。
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唐門は鳳凰、麒麟、獅子の円形彫刻により装飾された扉であり、現在では4月17日の例祭日のみ開きます。
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維新時に銅瓦葺、飾金具を剥ぎ取られてしまいましたが、昭和の時代に修復。
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本殿の周りを囲む透塀は1周約80m。
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本殿には鷹や天女、龍などの彫刻が彫られており、当時の最先端技術である七宝金具を使用した金具で装飾。七宝金具は全国にある東照宮の中でも日光東照宮と仙台東照宮にのみ使用されています。
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案内板より…『○御祭神徳川家康公…徳川家康公は天文11年(1542)12月26日、三河国(愛知県)岡崎城で誕生された。幼少より幾多の艱難辛苦に耐え抜き、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに勝利を収め天下を統一し、幕藩体制を樹立して江戸時代260余年の太平の基を築き、産業を興し学問の振興に努め、近世日本の発展に偉大な功績を残された。元和2年(1616)4月17日、駿河城(静岡)に於いて薨逝された。○御遺訓…人の一生は重荷を負ひて遠き道をゆくが如し。急ぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし。心に望おこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基。いかりは敵とおもへ。勝事ばかり知てまくる事をしらざれば害其身にいたる。おのれを責て人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。』
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重要文化財本殿(昭和28年3月31日指定)…『本殿は御祭神徳川家康公の御神霊をお祀りする、社殿の中で最も重要な建物である。大きさは正面3間、側面2間、入母屋造銅瓦葺で棟に千木・堅魚木を載せる。亀腹基壇上に円柱を建て三方に切目緑・擬宝珠付高欄を廻し、向拝は花崗岩の浜縁の上に立つ。軒は二軒繁垂木、支輪付出組斗■(木+共)、中備は白鷹に松の彫刻入蟇股を備え、頭貫には獅子の木鼻を付す。4周に内法長押、縁長押を廻し両側後端に脇障子を建てる。正面3間両側前端1間に折桟唐戸を吊り込み、120面の綿板には麻葉模様と円形に天女、竜、唐獅子を浮彫している。建物は総欅造、木目を現わした透漆塗で内外部共塗装を施し、縁、高欄、木階は朱漆塗、外部板壁と床は黒漆塗とし彫刻には金箔押や生彩色を施す。各所に精巧な鍍金金具を付け、金梨地の金蒔絵、桟唐戸の金具の七宝装飾等、伊達文化の粋を結集した極めて荘麗な建物である。』
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車祓所。新車のお祓いと交通安全祈願をするための場所。西参道から車で来られるようになっています。
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授与所・社務所・参集殿。
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