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宮城県仙台市青葉区東照宮1丁目。
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社号標「縣社東照宮」。
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参道。
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狛犬一対。
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台座…『御祭神徳川家康公・御生誕四百五十年記念。獅子狛犬建立・平成4年4月17日・東照宮宮司高崎恒晴、名誉宮司高崎真興』
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台座碑文…『御祭神徳川家康公は天文11年(1542)12月26日、三河国(愛知県)岡崎城で生誕された。この獅子狛犬は御祭神縁の地岡崎にて、岡崎産の花崗岩を使用し製作された。獅子狛犬は神域の清浄を守り、邪を防ぐ魔除けとして、神前に向かって右に獅子(口を開き耳を垂れる)、左に狛犬(口を閉じ耳を立てる)を据える。』
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国指定重要文化財仙台東照宮(案内板)より…『残暑厳しい日差しも段々と弱まり、秋は神前に収穫の感謝をするお祭りがございます。東照宮に秋の到来を伝える大イチョウは毎年11月中旬頃色づきはじめます。10月、11月の土日は七五三参にいらっしゃるたくさんの子どもたちが着物を付けてにぎやかになります。千歳飴は「無事に長生き」の願いを込めて長く作られています。ぜひ皆様も境内で季節の移ろいを感じていただければ幸いです。秋の行事:10月から11月…七五三参り。11月23日新嘗祭』
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東照宮由緒…『御祭神徳川家康公・例祭4月17日。仙台藩2代藩主伊達忠宗公は、徳川幕府への尊崇・感謝の標として、慶安2年(1649)5月28日、3代将軍徳川家光公に東照大権現の仙台勧請を願い出て許しを受け、同年8月17日普請始(着工式)を行った。この地は玉手崎とよばれ、天正19年(1591)10月、徳川家康公が葛西大崎一揆の視察を終へて江戸へ戻る途中、藩祖伊達政宗公と宿陣された所で、祭神縁りの場所として社地に選ばれたという。尚、この地にあった天神社は東隣に移され、寛文7年榴岡に移された(現在の榴岡天満宮)。社殿が完成したのは、着工以来5年後の承応3年(1654)である。同年3月16、17日に、造営落成御遷座の儀式が荘厳に行われた。造営に当った人足58万3675人、大工12万9967人、材木2万4730本、総工費小判2万2496両を要した。諸国に材を求め、一流の工匠が工事に携わる等、仙台藩総力をあげての大事業であり、伊達文化の粋を結集したものであった。以後、伊達家の守護神として尊崇され、明暦元年(1655)より毎年9月17日を祭典日と定め、藩主在国の年には城下18ヶ町に命じ、神輿渡御の先駆として山鉾を出さしめ、藩内最大の祭礼であった。この祭を仙台祭と称し、江戸時代末期まで盛大に行われた。昭和10年8月6日早朝、失火により幣拝殿が焼失し、貴重な文化財が烏有に帰したが、昭和39年11月17日、氏子崇敬者の協力により原形に復興された。本殿・唐門・透塀・随身門・石燈籠・石鳥居は国指定重要文化財に、手水舎は県指定有形文化財に、それぞれ指定されている。昭和53年6月、唐門・透塀の大修理が竣工、昭和55年6月には本殿の修復工事が完了して、創建時の荘厳華麗な姿に復元された。境内社:古峰神社。境内地:9700坪。鎮座地:仙台市東照宮1丁目6番地1号。東照宮社務所』
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人生儀礼…『私達の一生で、大切な折目・折目に行われる儀礼を人生儀礼といい、様々な形をとって現代に継承され、私達の社会や生活に大変密接なつながりをもっています。*着帯の祝い…新しい生命が宿ってから5ヶ月目の戌の日に、岩田帯をしめて安産を祈願します。*初宮詣…男児32日、女児33日目に産土様にお参りし、子供の健やかな成長を祈ります。*七五三の祝い…11月15日(或いはその前後)に3歳の男女児、5歳の男児、7歳の女児が、神様に今までの無事成育を感謝し、今後一層のご加護を祈願します。*成人の祝い…1月15日、満20歳を迎えた男女が、成人になったことを自覚し、立派な社会人となることを神前に誓います。*結婚式…若い2人が夫婦として力を合せ、幾久しく幸せな家庭を築き社会のために尽すことを誓うと共に、両家の弥栄と子孫の繁栄を祈念します。*厄祓い…男(25歳、42歳、61歳)女(19歳、33歳、37歳)の大厄は、社会的生理的にも人生の転機にあたる年令といわれ、身を慎み神のご加護を祈ります。*長寿の祝い…還暦(61歳)古稀(70歳)喜寿(77歳)米寿(88歳)白寿(99歳)の誕生日に長寿を祝い、延命を感謝します。○神道儀礼…*地鎮祭*上棟式*新宅清祓*家内安全祈願*社内安全祈願*商売繁昌祈願*交通安全祈願*その他諸祭。お申込は、社務所にお申出下さい。』
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石鳥居。
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明神鳥居形式の美しい白色の鳥居で、宮城県最古の石鳥居。主な部材である花崗岩は伊達忠宗公夫人振姫の郷里である岡山県犬島から海路で運んだもの。
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重要文化財石鳥居(昭和28年3月31日指定)…『伊達忠宗公の奉献によるもので、明神鳥居形式の美しい形態の鳥居である。鳥居の主な部材は花崗岩で、忠宗公夫人振姫の郷里備前国大島から運搬し建造されたものである。左右の柱には次の様に記されている。「奉献 石華表一基 東照宮大権現 仙臺 得巨石於備前国運千南溟達当所 彫刻以創立之」(右柱)「承応三年甲午四月十七日従四位少将藤原朝臣忠宗(左柱)」。昭和53年6月12日の宮城県沖地震により鳥居の柱が南西方向に傾斜した為、昭和54年2月に解体し旧規のとおり復旧組立工事を行った。上の投影図はその時に調査し作製されたもので、約2m角、厚さ60cmの安山岩の一枚礎盤の上に東西約2m、南北約2.5m、厚さ約90cmの安山岩の根搦み石で左右の柱が固定された堅固な構造になっている。』※石鳥居投影図は消えていて見えませんでした。
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参道。
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足尾大神(明治41年9月21日)。
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足尾大神有志人名碑。
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御神橋。
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御神橋は境内を流れる小川に架かる橋で、創建時にあった橋を再現したもの。川は梅田川の支流で、春には橋の周りの樹齢100年前後の古桜が東照宮を彩ります。
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境内社の古峯神社。
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栃木県鹿沼市にある古峯神社の御分霊を祀っています。御祭神は日本武尊。開運・除災・心願成就の神様として崇敬されています。
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狛犬一対(平成4年9月吉日・宮川ふじの奉納)。
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東参道。
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東参道の石段も仙台市登録文化財です。
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正面参道石段と石灯篭。
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東照宮石段は、石鳥居から随身門までの正面参道の石段と、随身門背面石垣に設けられた東参道の石段を仙台市登録文化財としており、いずれも承応3年の東照宮創建時のもの。なかでも随身門に至る石段は調和のとれた緩やかな49段の石段となっており、両側に並ぶ重要文化財附指定の石灯龍とともに美しい景観を見せています。
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石灯籠(石鳥居附34基・国重要文化財)。境内には石灯籠が38基あり、そのうち28基が表参道の石段脇に並んでいます。多くが伊達家一門御奉納のもの。有名な伊達騒動の結果撤去された灯籠もあるそうです。
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案内板より…『○重要文化財石燈籠(昭和55年1月26日附指定)…創建時には伊達家一族家臣より38基の石燈籠が奉献されていたが、寛文事件(伊達騒動)後、事件に関係した重臣の石燈籠は取り除かれ、現在はその後奉献されたものを合わせて37基が境内に立ち並ぶ。承応3年(1654)の刻銘があるもの31基、延宝8年(1680)の刻銘があるもの2基、天和2年(1682)の刻銘があるものが4基あり、文化財指定の社殿とともに一体としてその価値を形成するものである。拝殿前の2基は花崗岩、その他は当地産の石に彫刻作成して奉納されたものである。○東照宮の参道…正面の参道は御社殿の竣工と同時期に完成している。石鳥居をくぐり御神橋を渡ると、随身門前の長い石段は緩やかな勾配で、階段と踊り場が交互に配置され、段数も下から順に四段四段四段三段四段三段三段四段四段三段二段四段三段四段と大変リズミカルで、踊り場も広い所や狭い所があり実に変化にとんでいる。左右の石燈籠を眺めながら進むと随身門に達する。宮町の通りが東照宮を起点に南に一直線に伸びているのが一目でわかる。この付近から石畳の石は安山岩から花崗岩に変わり、急勾配の14の石段を上ると拝殿・手水舎の前である。これらの配置は境内の地形に合わせて巧に計画され、他に見られない特徴を持っており、工事に携わった人々の創意と参拝者への配慮が深く感じられる参道である。』
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石燈籠刻銘(本殿前1-4、拝殿前5-6、石垣前7-10、随身門前西側11-24、随身門前東側25-37)…『1石川大和宗弘(天和2年5月8日)2田村右京大夫坂上宗永(延宝8年5月8日)3田村右京大夫坂上宗永(延宝8年5月8日)4伊達伊豆藤原宗氏(天和2年5月8日)5-6藤原朝臣忠宗(承応3年4月17日)7-8伊達式部大輔藤原宗倫(〃)9-10坂上宿称田村氏右京亮宗良(〃)11-12石川大和守源宗弘(〃)13-14伊達安房守藤原宗實(〃)15-16伊達信濃守藤原宗重(〃)17白石五郎助藤原貞弘(〃)18-19片倉備中守藤原重長(〃)20津田豊前守藤原頼安(〃)21茂庭大隅守藤原延元(〃)22富塚内蔵頭藤原重綱(〃)23伊達和泉守藤原宗直(〃)24茂庭大隅守藤原延元(〃)25-26伊達弾正忠藤原宗敏(〃)27伊達和泉守藤原宗直(〃)28津田豊前守藤原頼安(〃)29-30石母田織部藤原永頼(〃)31富田壱岐守源氏紹(天和2年5月8日)32中嶋監物藤原意成(承応3年4月17日)33遠藤文七郎藤原俊信(〃)34奥山大学助藤原常辰(〃)35-36(〃)古内主膳正源重広37三沢頼母源宗直(天和2年5月8日)』
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