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東京都中央区日本橋人形町。鳥居額束は「松嶋神社」。日本橋七福神の大黒神。人形町のおとりさま。天日鷲神(大鳥大神)が祀られているため11月に酉の市が開催されます。ビルの1、2階が社殿となっており、いかにも都心の神社という外観です。
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主祭神は稲荷大神、伊邪那岐大神、伊邪那美神。相殿として日前大神(天照大神)、北野大神(菅原道真公)、手置帆負神、彦狭知神、淡島大神、八幡大神、猿田彦神、琴平大神、天日鷲神(大鳥大神)、大宮能売神(おかめさま)、大国主神(だいこくさま)を祀ります。
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鎌倉時代の元亨以前にこの辺りが入り海であった頃、松の木が鬱蒼と生えた小島に柴田家の祖先が下総の国からこの小島へと移り住み、柴田家の邸内社として祀られており、夜毎燈火を掲げ、これを目標に舟人が航海の安産を得たと伝えられます。正中元年(1324)3月2日夜刻三男柴田権太に百難救助すべしとの神示があり、霊験自在円満の感応あり其の奇得を遠近の諸人が信仰し、これにより正一位稲荷大明神の位記を奉られます。天正13年(1585)に松島稲荷大明神として一般に公開参拝の自由が許され、権太の木像を安置し権太大明神とも俗称されました。正徳3年(1713)新町が開設される時に社号に因んで町名を松島町と称しました。周辺を埋立てて大名屋敷を造営するために、地方から上京した大工、左官、家具職人などが集められ、水子の霊を蛭子社に合祀し、慰霊のために布切れ、土又は木片などで、這子や乳児の形を作ってお供えしました。善右衛門、勘兵衛、清右衛門、利衛門等々人形師がでたので、人形の町のお稲荷さん、人形町のおとりさまと称して尊崇されます。賀茂真淵は元文2年(1737)11月14日より松島稲荷社に寄宿されており、当社に於いて神の道を説かれたそうですが、社記類は震災及び戦災によってすべて灰塵に帰しており創立年月日等詳細は詳らかではありません。明治7年には松島稲荷神社として村社に列格、大正5年6月10日松島神社と改称。大正12年の関東大震災で社殿等を焼失し、その後現在地に社殿を造営。昭和20年3月の東京大空襲でも罹災しており、戦後に本殿・祖霊殿・社務所・祭器庫などの復興に着手して現在に至ります。
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松島神社由緒(案内板より)…『鎌倉時代の元享(1321)以前、昔この辺りが入り海であった頃小島があり諸神を勧請し、夜毎揚げる燈火を目標に舟人が航海の安全を得たと伝えられる。島内松樹鬱蒼たるにより人々松島稲荷大明神と唱え、正徳3年(1713)新町が開設される時に社号に因んで町名を松島町と称した。当時付近を埋め立て武家屋敷を造営するために、日本各地から技をもつ人々が集められそのまま住いを構え町の中心に位置した松島稲荷に、それぞれの故郷の神々の合祀を頼んだために他社に比べ御祭神が14柱と多い。明治7年4月2日松島稲荷神社の名称を以て村社に列格される。大正5年6月10日松島神社と改称。昭和8年2月1日都市計画法の実施に伴い蛎殻町4丁目に改称せられ、その為松島町は消滅する。』
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