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通称「たこ神社」「たこ神さま」「たこ薬師」「磯潟大明神」などとも呼ばれています。
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泊川神社(磯潟大明神)の由来…『【由来】由来の伝説として、二つの説がある。その一つは、枕神伝説である。昔、この一帯は松山で、山林の中に平らな窪地があり相当大きな沼があった。牛や馬が放牧され、それを見回りにきた子どもたちや、通行人が、沼に住んでいる「大だこ」に引っぱられて、溺死するという出来事があった。そこで、地域の人達は、この「大だこ」のいたずらを鎮めようと神に祀ることにして、岩の上に泊川神社を建立し、「たこ神社」「たこ神様」「たこ薬師」と呼んだ。「たこ」は、目が鋭く丈夫なことから、特に、眼病に御利益があるといわれ、万病平癒の功徳をもつ薬師如来と融合して、庶民信仰をうけ今日に至っている。遠くは秋田県や北浜(三沢地方・六ヶ所村泊)の人々からも信仰をうけ、参拝者も多くあった。もう一つの説は、この地域のある庄屋の娘さんが、この沼に落ちて死ぬという事故があった。そこで、その娘さんの霊を弔うためにこの神社を建立したということである。また、この神社は、波打ちぎわの外海から断ち切られてできた干潟が境内にあることから、かつては「磯潟神社」とも呼ばれていた。氏子は榊・駅前を中心とした周辺の人々である。近年は、眼病治癒の神様の信仰と共に、「初日の出」参拝の名所として知られている。【建立】建立時期は不詳。八戸廻濱山根猪鹿狩場絵図(安永八巳亥正月十八日)(1779年)に、泊川神社の存在位置が示されていることから、1779年以前から、この神社が建立されていたことが判明できる。現存する最も古い「のぼり」には、嘉永元年(1848年)「磯潟大明神」と明記されてある。【例大祭】旧暦5月25日。平成13年7月15日泊川神社社守濱谷豊美』
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安永8巳亥年(1779)正月18日の八戸廻濱山根猪鹿狩場絵図。
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狛犬一対(昭和52年旧5月25日・浜谷梅吉家族一同)。
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社殿。創建は不明。木村竜蔵家の祖先の娘が端から足をすべらせて沼で亡くなったため、沼のタコにさらわれたのだと噂が流れ、この一帯は木村家の所有地であったことから、娘の供養のタコを神として祀り、子どもを保護するよう願って小祠を創建したともいいます。祭壇にはタコに見えるという石が祀られているそうです。例大祭は旧暦5月25日で泊川まつりと称して開催しています。
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向拝下。社殿内には陶製双頭白蛇神が多く祀られており、その他に稲荷神の狐像、天神の牛像、龍神、七福神と恵比須神像、金毘羅神の掛け軸が安置されており、舟絵馬やたこ絵馬もあります。内陣の壁には「磯潟神社」と記されています。
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社殿裏手というか、鎮座地自体が海岸沿いの岩場となっており、すぐ裏手は海です。初日の出の名所としても有名。
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社殿からの風景。
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遠くに三陸大津波記念碑が見えます。わかるかな。
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ズーム!
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ちなみに三陸大津波記念碑側から見れば泊川神社はここです。
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泊川神社の一の鳥居と直角にもう一つ鳥居があります。
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手水舎。
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磯潟神社と呼ばれる由来になった干潟に降りていきます。パンフレット(階上町ガイドブック)には「脇にある鳥居下の干潟に大ダコが棲み、旅人を襲って溺死させたという伝説があります。」とあったので、上記案内板に出てくる沼でもあるようです。
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不思議な石塔がありました。貝が嵌め込まれた石の中央に、石塔が嵌め込まれています。
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石塔にはねじり鉢巻がされており、不思議な模様がありました。まるでタコがねじり鉢巻をしているかのように見えます。恐らく下記の句碑で詠まれている蛸石かと思います。
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句碑…「夢まくら蛸石見ゆるさかき浜」(平成13年7月15日・とくべえ)。
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