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入口付近にある看板には「200m先」・「1,200m先」とあります。山道を徒歩で200mと1200mではとんでもない違いです!勾配によっては登山とハイキングくらい違います。「1,200m先」の看板は「1200m」ではなく「1、200m」(100~200m)の間違いであると信じて参道を登り始めます。
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道中にはいくつか鳥居があるので迷いません。
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上の方に建物が見えました。どうやら200mだったようで一安心!!
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御祭神は倉稲魂命。
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岩手県神道青年会のHPによりますと、由緒として『明和年中(1764-1772)霊応院様(遠野・南部27代信彦)の御帰依なり。その後安永3年(1774)鳥居・鰐口・御籏御寄進なり。正一位の神位は天明3年(1783)なり。』とありました。
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水神と不動明王。
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狛犬一対。
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水神の場所から更に上ります。
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金華山。
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御神木。
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山神
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社殿。
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社殿内。
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境内案内板より。
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『遠野町の西南にあたる程洞山に鎮座しているので「程洞のお稲荷さん」として親しまれている。中世の遠野領主阿曽沼氏の一族であった宮道義が同家の鎮守として勧請したと伝えられている。境内には烏神という小社があって婦人病に霊験があるといわれ参詣する者が多かった。また境内には杉の老木が多く冷泉があり、眺めもよく避暑地に適している。』
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こちらも境内案内板より。
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『市民に親しまれている程洞のお稲荷さんは、明和2年(1765)に当時の領主阿曽沼氏の一族の宮道義が勧請したと伝えられるもので、祭日は6月9日です。境内に、子宝や腰痛などにご利益があるといまなお信仰されている、巨大なコンセイサマがまつられています。』
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本殿。本殿裏の小道を進んだところに巨石信仰と思わしき高早大明神が祀られているそうです。
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烏神・コンセイサマ。
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中央には熊野牛王符。そして八咫烏がいっぱいおりました。
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奉納されているコンセイサマです。
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種類多し。
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