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山形県東置賜郡高畠町高安。かつての高安村。はじめ蒲生氏領、慶長3年上杉氏領、慶長6年米沢藩領、寛文4年幕府領(一時期米沢藩預り地)、慶応2年から再度米沢藩領。
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方角的には犬の宮に対座している猫の宮。日本でも珍しい猫を祀る神社。昔は養蚕の神としての信仰が篤かったようです。別当は清松院。愛猫の供養と健康祈願で写真や首輪を奉納する参拝者が多いのが特徴。中でもペットの遺品を奉納して供養を願う者が多かったことから、昭和63年より毎年7月第4土曜日に犬の宮前で全国ペット供養祭(犬猫合同)が行われるようになりました。別当寺院住職の読経により、全国のペットと参列希望者のペットの供養が執り行われます。
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猫の宮由来記…『延暦年間の頃(和銅より約70年後)この村に、信心深い庄屋夫婦がいた。二人には子供がなく、丈夫な猫が授かるよう祈っていた。ある夜観音様が夢枕に立ち「猫を与えるから大切に育てよ、さすれば村中安泰、養蚕が盛んになる」と、お告げがあり授かった猫に「玉」と名付け、大変可愛いがり丈夫に育てたが歳月がたつにしたがい不思議な事に、何処へ行くにも傍をはなれず、何物かを狙うが如き睨み据え、その異常さに思いあまった主人は、ある日隠しもった刃で切り捨てた。ところが猫の首は天井裏に飛び隠れていた大蛇の首に噛みつき殺してしまった。大蛇は昔、犬に退治された古狸の怨念の姿であり、猫は(観音様の化身)庄屋夫婦を守るための振舞いだったのです。村人は庄屋を救った「玉」をねんごろに葬り、観音堂を建てその供養を行い恩徳を偲び「猫の宮」と称した。以後村人は猫を大切に育て養蚕が盛んになり、安泰な生活が続いたと云う。(清松院縁起聞伝書による)昭和53年6月髙畠町・髙畠町観光協会』
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猫の宮由来(高畠町HPより)…『延歴年間(781年-805年)高安村に代々庄屋で信心深い庄右衛門とおみね夫婦が住んでいた。2人には子供がなく、猫を心からか可愛がっていたが、なぜか次々と病死してしまう。今度こそ丈夫な猫が授かるように祈っていた。ある夜、同じ夢枕に観音菩薩が現れ「猫を授けるから大事に育てよ。」とのお告げがあり、翌朝庭に三毛猫が現れ、夫婦は大いに喜び、玉と名付けそれはそれは子供のように大切に育てていた。玉も夫婦にますますなつき、そして村中のネズミをとるのでたいそう可愛がられていた。玉は不思議なことに、おみねの行くところどこへでも付いていった。寝起きはもちろんの事、特に便所へいくと、天井をにらみ今にも飛び掛からんばかりに耳を横にしてうなっている。おみねは気持ちが悪く思い、夫にそのことを話してみた。夫が妻の姿をして便所に行くとやはり、玉は同じ素振りをする、庄右衛門はいよいよあやしく思い、隠し持っていた刀で猫の首を振り落とした瞬間、首は宙を飛び屋根裏にひそんでいた大蛇にかみついた。この大蛇は、70数年前に三毛犬、四毛犬に殺された古狸の怨念の血をなめた大蛇が、いつかいつの日か仕返しをしようとねらっていたが、玉が守っているため手出しできなかったのだった。この事を知った夫婦は大いにくやみ村人にこの事を伝え、村の安泰を守ってくれた猫のなきがらを手厚く葬り、堂を建て春秋2回の供養を行ったという。』
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犬の宮の由来と関連した内容になっています。ちなみに猫の宮は犬の宮より100年ほど後に創建されました。元々は小さな祠で明治時代になってから茅葺屋根の宮になったそうです。現在は萱葺ではありません。
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扁額には「観世音」
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観音扉に写真がピッチリ貼られています。
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ペットの健康祈願の意もあるそうですが、見た感じでは圧倒的に供養が多いです。
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参道石灯篭一対。「破暗」「照光」の文字がいいですね。
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不明の石。
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こちらはいずれも「土屋」云々と彫られており、角兜巾型奥都城かと思ったのですが台座には多数の名前、そして「碑」という文字が見えるので違いますね。
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こちらは倒壊していますが石版で正別當14代の名が彫られていますが何かはわからず。ちなみに前述のとおり別当は清松院。
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庚申塔や湯殿山碑。
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馬頭観世音。
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石祠など。
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八百萬遍供養塔(元治元年3月8日)。
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