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参道及び社号標。社号標紀年銘「明治41年6月15日」。
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由緒等は以前の記事も参照ください。
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文明の頃(1469年)如来瀬の地より湯口佐内坂桃村(現常磐坂)に転社し応仁の大乱を承け、久しく類廃し神主も煩心して上都しありしが、津軽藩祖為信公、津軽一統の頃、永禄12年正月(1569年)唐内坂往来の諸人馬に來り通るに皆落馬せるを為信公聞召して、我も行って見んとて御馬にて出で行きしに案の如く落馬し、あらぬ躰にてお帰りになりにぞ。其の夜の御夢想に我は国民を守るといえども誰が国の主とならんと、心を尽しに汝一国の主となるべし我れ末にまで守るべし、今はよき折柄ぞ思い立つべしと御神夢のお告げ有り、軍神として御神影を錦の袋へ奉納。戦場に御勧請せり、後に為信公御自身厨子御神像を奉納袋の宮と称しました。熊野三所権現の内飛龍大権現と申し慶長19年(1614年)二代信牧の御代紀州熊野宮三所の宮に遣わし祈願せしめ、慶長20年6月現在の本殿を建立、大守の霊夢により門外村に熊野新宮、八幡村に熊野本宮を相殿とし那智山袋宮寺熊野三所大権現と改称しました。新町川の西岩木川の東下町八ヶ町を以って永代氏子とせよとの御墨付を受けた当社は御霊験灼かで歴代藩主を始め氏子の崇敬厚く、御祈願所として武運長久、富貴繁栄、寿命長延、国家安全等を祈願し藩政時代の祭事は盛儀を窮めました。明治時代初頭の神仏分離令により別当だった袋宮寺から独立し熊野宮となり、明治6年に村社に列し、明治39年に神饌幣帛料供進神社に指定されています。現在の本殿は、二代藩主津軽信牧が再建した本殿は、3間社流造、鉄板葺(旧こけら葺)、正面1間向拝付、象鼻や懸魚には優れた彫刻が施された建物です。熊野宮本殿は江戸時代初期に建てられた神社本殿建築の遺構として貴重な存在で棟札3枚(慶長20年6月中旬造立・文政元年7月9日修復・嘉永元年6月13日修復)と共に平成5年に青森県重宝に指定されています。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、速玉男命、事解男命、罔象女命。例祭日は旧6月15日。 ※罔象女命…『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)に「新しく城西団地の造成された地区は岩木川の分流旧樋口川原にあたり、ここには熊野三山宮があって、旧飛竜大権現社と称し、伊諾那岐・那美の命のほか、罔象女の諸神を祀っているし、古くは弁天様もあった。」とあります。
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鳥居前にある石と手水石。
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手水舎(昭和9年12月10日・社掌森下元一郎・高山松堂書)。
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正面参道。
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石燈籠一対(明和6年6月15日)。古いけど状態がいいですね。
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拝殿前の両部鳥居と注連縄。
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周囲は巨木に囲まれております。
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御神木(イチョウ・幹周3.8m・樹高31m・推定樹齢200年)。
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拝殿前石燈籠一対(文久2年6月15日)。
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狛犬一対(昭和9年旧6月15日)。
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拝殿。
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拝殿と御神木(イチョウ)。
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拝殿前の風景。
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拝殿向拝下。
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中門。
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慶長20年建立の本殿。象鼻や懸魚の彫刻に優れた手法を示しており、繋虹梁などにも古い形式が残され、極めて貴重な遺構となっています。本殿にも狛犬(一対)がいたはずなのですが、私の身長では玉垣&高い位置にて見えません。移動した!?
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本殿前の石燈籠一対(嘉永7年3月25日・佐山弘保)。
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本殿前の狛犬一対。
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拝殿横の倉庫っぽい建物。
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末社天満宮。
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手水石。
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石燈籠一対。
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天満宮社殿と狛犬一対。
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天満宮神額。
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御大典記念改築碑(大正4年11月1日・氏子建立)。
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天満宮横の末社。小祠2棟鎮座。
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猿田彦大神碑と庚申塔。
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結構古い紀年銘ですが状態はとてもいいです。石も大きいですね。次回参拝時にでもゆっくりと見てみたいです。
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植林記念碑(大正4年9月15日・氏子有志)。
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熊野宮相撲復興25年記念碑(大正15年6月「天下泰平」共安講)。
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土俵。
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