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宮城県仙台市青葉区北山2丁目。御祭神は倉稲魂命・火産霊神。
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社号標(大正15年3月18日)。
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庚申塔(天保癸卯14年)。
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北山羽黒神社…『羽黒神社は、同社因縁記(享保元年<1716>記)によれば、伊達政宗公が、仙台城築城の慶長7年(1602)北山に建立した。保春院殿が嗣子なきを憂え、長海上人を湯殿山に参籠させた所、夢枕に立った偉僧の梵天を宿して生れたのが政宗公と記される。偉僧は、湯殿山初代の行者萬海上人で、その弟子長海上人と慶印上人とが、師の生まれかわりの政宗公が慶長5年(1600、関ヶ原の年)上杉軍と戦った折、大いに助勢した功をめでて慶印上人を羽黒神社開祖とした。病める者も、十中九は立ち所に治るなど霊験あらたかであると因縁記は述べている。羽黒神社総代会』
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羽黒神社案内図。
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参道。
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参道石灯篭二基。
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対かと思ったら左右の紀年銘が異なりました。元治2年6月15日と文久2年6月15日。
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参道石灯篭一対(弘化5年2月15日)。
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参道を振り返るの図。
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狛犬一対(嘉永元年6月15日)。
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手水石。
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慶長7年(1602)、伊達政宗公が福島県信夫郡の羽黒山山頂にあった羽黒神社を分祀し、仙台城の鬼門除けとしたとされます。羽黒山(福島県信夫郡)は信夫三山の中峯をなし、古来から信仰の対象となった霊山で、嵯峨天皇が淳中太尊・石比売命の2柱を祀っていたそうです。
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慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで政宗公は東軍方に与し、西軍方の上杉景勝の重臣本庄繁長が守る福島城(福島県福島市)に侵攻、その際に本陣を敷いたのが福島城を見下ろす位置にあった羽黒山で、山頂に鎮座していた羽黒神社の別当寺院だった寂光寺が伊達軍に協力したとされています。社殿・堂宇は兵火によって焼失し、住職の法印慶印は伊達家を頼って現在の仙台城の二ノ丸付近に境内を遷し、改めて羽黒神社・寂光寺を再興。寛永15年(1638)、仙台城二ノ丸が整備された際に現在地に遷座。明治初頭の神仏分離令により別当寺院寂光寺は廃寺となりました。現在の社殿は昭和45年に新築したコンクリート造のものですが、麓の鳥居や参道は古社の雰囲気を感じます。境内社となっている月山・湯殿山神社は、江戸後期の建立と考えられる元羽黒神社の社殿を使用。木造平屋建、桁行3間、梁間2間、入母屋、桟瓦葺、正面1間向拝付、江戸時代後期の社殿建築の遺構として貴重であり、平成8年に仙台市登録文化財に登録されています。
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向拝神額「羽黒神社」(大正11年6月4日)。
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石碑「羽黒神社」(昭和45年7月15日・佐藤稲治郎80歳記念)。
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三重塔。
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南無阿弥陀佛などの石塔群。神仏混淆感を色濃く残しています。
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地蔵菩薩も。
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神楽殿。
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御輿庫。
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御輿庫内。
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御輿庫とアカマツ(樹齢120年・仙台市保存樹木)
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月山神社・湯殿山神社。
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かつての北山羽黒神社の拝殿です。仙台市登録文化財。昭和45年の新築の際に移築され、境内社として残されました。
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入母屋造桟瓦葺、桁行3間、梁間2間、3方に縁を廻らし、1間の向拝が付いています。江戸時代後期の建立と考えられています。
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月山神社・湯殿山神社拝殿内…ドラえもんが一番目につきます。
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愛宕神社。
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手水石。
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上記案内看板の絵図からもわかるように、かつては愛宕神社の横に帝釋天があり、そして後方には妙法寺が見えていましたが、妙法寺の場所は現在アパートになっています。帝釋天も現存していません(どこかに移動したのかも)。妙法寺は青葉区北根に移転したようです。
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ちなみに愛宕神社はかつてここより少し西方の北山霊園(仙台空襲後の戦災復興事業によって設置)付近(北山二丁目)に鎮座していたそうです(※ネット情報。古地図等ではその場所に特に何も描かれておらず確証はありません)。
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現在もその場所(下記写真)には石段の一部と徳音海(キリーク)と刻まれた碑や巳待塔、馬頭観世音等の石碑が残されており、お寺跡という雰囲気こそ多少ありますが、愛宕神社の元鎮座地といった雰囲気は感じませんでした。末社ならともかく移転となれば愛宕神社には当北山羽黒神社とは別に由緒が存在しそうですが、2度訪問するも社務所はいずれも留守で、残念ながらその由緒はわかりませんでした。
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ちなみに北山霊園は市民墓地他、満願寺、大聖寺、光圓寺、神社庁、弥勒院の墓地があるようです。
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こちらは北山霊園内にある石碑。何か手掛かりはないものかと調べてみましたが、特に愛宕神社に関わりあるようなものはないみたい。
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藏王山(弘化5年4月8日)。
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山神。
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観世音(寛保3年4月17日松尾山講中)。
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馬頭観世音(文久)。
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馬頭観世音。
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愛宕神社跡地と思しき場所に残る石碑も見てました。
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馬頭観世音(寛政4年8月1日)。
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巳待塔。
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こちらは梵字かな…少し読み取りにくい感じ。
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南無阿彌陀佛(寛保3年)。
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いずれも仏教色が強いですね。なお、この付近の石塔の紀年銘は1700年代後半から1800年代前半が多いです。
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徳音海(キリーク・文久元年酉年12月8日講中建之)。金峯山の行者です。地理的に恐らく山形県の修験道霊山である金峯山の行者と考えられ、ここは出羽三山行者の参詣も多かったと伝えており、冒頭の北山羽黒神社の案内板にもあったように湯殿山の行者は「〇海上人」という場合が多いようです。上記蔵王権現とも関わりがあると考えましたが紀年銘に10数年の差があります。
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程近い青葉区(鹿島崎)の鹿島神社の境内案内図の石等の説明が詳しかったのを思い出して読んでみるも、結局愛宕神社と石等の関連性は掴めませんでした。※下の写真は鹿島神社です。
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ってことで、愛宕神社の由緒については宮城県・仙台市の図書館に行くか、神社の方に会わない限りわからなそうです。愛宕信仰は伊達政宗とも関わりが深いので色々と調べたかったのですが、図書館まで行く余裕がないのでここで打ち切りです。せめて例大祭当日などに行ければお話を伺うこともできるんでしょうけど私にはそれも無理そう…ってことで北山羽黒神社に話を戻します。
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北山羽黒神社社務所の隣にある竹駒神社です。
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竹駒神社額束。
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手水石。
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御祭神は宇迦之御魂神。
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竹駒神社の裏手には小山があり、仙台の文化財地図によりますと古墳となっていますが誰の墓であるかは不明。その小山の上に樹齢380年のエゾヒガン桜があり仙台市の保存樹木に指定されています。ちなみに私は古墳まで下調べしておらず未確認です。
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狐一対。
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石祠。
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竹駒神社の横にも鳥居。
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神額「竹駒稲荷大明神」(昭和41年1月吉辰)。
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社殿内には祠が3基並んでいました。
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祠内。
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『為42壽祝・昭和10年6月』
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社殿前に狐がいっぱい。
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種類も様々。
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