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奥州街道(国道4号線)から県道9号線を北上し茂浦のアネコ坂を通って行きます。『青森の伝説(森山泰太郎・北彰介)』によりますと、「昔は湾内のタラ漁でにぎわった茂浦部落に、アネコ坂という坂がある。今はすっかり平らな舗装道路になったが、以前はこのあたりに古狐が住んでいるさびしいところであった。夜中にここを通る村人があれば狐がアネコ(娘)に化けて、あんどんを灯し、針仕事をしている姿を見せたという。」とあります。また、「アネコ坂の近く、板橋から土屋へ越える峠を鍵掛け峠という。これまでいくつか紹介したが、ここも峠の高い木の枝に向かって、カギ状の枝を投げ上げ、うまくかかれば願いごとがかなうという占いをしたのである。夏泊半島の環状道路が、もとの国道四号線に帰りついたところが土屋である。ここの海岸に、高さ二・五メートルほどの突出した自然石があり、これをオコリ石といった。村人がオコリ病にかかったときは、この石の頭にワラのはち巻きをしてやると、きっと治してくれると信じられていた。また沖に難破船があると、石の頂に灯火が現われて船の目標になり、よく危難を救ったともいう。」とあります。鍵かけ峠の占いについては菅江真澄も触れています。
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※写真は塩釜神社前の軽トラの日陰に待機していた猫一等兵です。
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さて、塩釜神社は茂浦漁港に鎮座しております。ちなみに私の地図では塩金神社となっていました。塩釜、塩竈、鹽竈…漢字は色々ですが「塩金」は地図の間違いですね。地図の神社名間違いは結構あるあるなんです。
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で、社号標を見ると…塩金神社!まじかよー!悩めるー!(笑)でも平内町史ではやはり塩釜神社となっています。
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社号標裏面。紀年銘は明治40年9月11日。
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茂浦村では昔から製塩が行われており、正保4年頃までは製塩所が5ヶ所ありましたが、その後燃料となる木材の不足により2ヶ所に減っております。国日記によりますと、元禄15年頃には塩の生産量が年間6,000俵に達していたとあり、これらの塩は飯米と交換するために青森の塩町の業者に移出されました。
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御祭神は山地田畑の神として味耜高彦根命(阿遅志貴高日子根神)が祀られます。別名迦毛大御神。大国主命と宗像三女神の多紀理毘売命の間の子で、一般には農業の神・雷の神・不動産業の神として信仰されます。また、宮城の鹽竈神社の御祭神とも同じとされ、主として製塩の神様で、海上安全及び漁業の豊漁をお恵み下さるといいます。
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天正13年(1585)に建主須藤三九郎、 同十左エ門、 釜師浪岡六兵衛外村中創立(※天正18年開創説もあり)。
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寛永11年(寛永2年とも)に塩釜跡から一尺五寸の銅像の観音が出現し、日光院四代山名法印、造主須藤三郎兵衛外村中にて現在地に社殿を新築して遷座。茂浦の塩釜神社は仙台の塩釜神社よりも早い年代に塩釜から御神体が出てきたので、仙台の塩釜神社の姉にあたるとされます。いつの頃からか岩木山神社の分霊と伝えられる小像の御神体が同座しているそう。つまり御神体は2体あり、小さい観音様が塩釜から出てきたもので、イチョウの木でできているそうです。茂浦島の弁天堂が宝暦8年に日光院八世延常法印、造主須藤権三郎外村中にて創立。明治初年の神仏分離によって廃社になるもその後小堂を建立。明治6年村社。終戦後御堂及び鳥居を再建。昭和10年10月17日、本殿は拝殿内に併設されていましたが、このとき本殿を離して別棟に新築遷座。昭和34年10月17日、本殿玉垣新設及び拝殿修改築。例祭日は4月17日。
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本殿。
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狛犬一対。
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台座の紀年銘、1つは明治12年4月17日。
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更にその下の新しい台座には平成22年10月17日とありました。
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狛犬と同じような配置で不明の石が一対。小銭が置かれています。オコリ石に関連するものかと考えましたが一対になっているので腑に落ちません。かといってかつての狛犬の台座にも見えませんでした。青森では神社に参詣しても中々地元の方々に会うことってないんですよねぇ…大きな神社以外は大体無人です。猫一等兵に聞いておけばよかった。
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こちらは手水鉢なんでしょうか。こちらにも小銭が置かれています。
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窓木の御神木。
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角度によっては三頭木の御神木。なお、かつては拝殿のすぐ左前に樹齢約300年のケヤキの御神木がありましたが、昭和53年9月の台風で、かねてより空洞のあった胴体に亀裂ができ、学校の通路でもあったことから危険と判断し伐採。なお、このケヤキの大木の乳の形をした部分は子どもを授かる神として崇められていました。
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参道にあった小祠。
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中には石塔がありますが、祠内にあるため読み取れませんでした。
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