神社巡りをしていると…
地図にはあるけど現存していなかったり…
地図にはないけど神社があったり…
着いたら地図とは違う名の神社であったり…
歴史上存在していたけど、現在はその行方が不明であったり…

そんなことがよくあります。地元の方々に会えば、色々と丁寧に教えてもらったりもしますが、それでもなお分からないことも多いのです。

見つけることのできなかった神社(現存しているかも不明)や、行き方がわかりにくそうな神社についてここにまとめ、皆様方からの情報を期待するものでございます。宜しくお願いします(-人-)

※土地勘がまったくない上に、かなりの方向音痴なので、意外なところで見逃していそうです(;´Д`)

※黒文字=見つかったor情報を頂いて場所がわかった。
※赤文字=未だ見つからず。

1.天龍神社・竜神社(五所川原市高野)
地図にあったので、現地で探してみましたが見つからず。以下の記事も参照ください。
廣峰神社 (五所川原市高野)
※頂いた情報:五所川原市高野北原151(場所はわかりましたが行ってません)

2.薬師如来・屏風山薬師堂(つがる市牛潟町)
つがる市牛潟町?牛潟字屏風山?
文化8年に蝉根村の弥作が大田光の下端れのところに居をかまえ、大タモノ木の下に薬師如来を祀り、産土神として崇敬したそうです。
車力村史によりますと『薬師如来 所在:大字牛潟字屏風山。堂:間口2間、奥行1間半 村人は、薬師様と称しているが、薬師如来の略語である。(中略)今でも、病院などに医療代金を支払いに行くのに「薬師コ」払いに行くといっている。ところが、普通神社と同じく、寺院等の門構えでなく、朱塗りの鳥居を用いている。牛潟の場合も同様である。これは即ち、藩政時代の神仏混祀から来た因習である。』とあります。掲載されているモノクロ写真には鳥居がなく、小高い丘の上にある小屋といった感じでした。

3.鬼神神社(つがる市車力町屏風山)
車力中学校グラウンドの西。五本松。現存する同地の天満宮もかつてはこの五本松の松林の中に鎮座していたそうです。グラウンドの拡張により移転している可能性もあり。
以下の記事も参照ください。

4.六所の森・六所神社(深浦町吾妻沢)
※見つかりました!
六所の森は神社ではなく板碑のようです。六所神社ともありますが、神社があるのかは不明。ちなみにこちらについては、観光マップにも載っている有名な板碑なのに見つけれず(笑)写真を見る限り、たぶん私が勘違いしているだけで、わかりやすい場所にあるはず…。吾妻川沿いかと思って探したのですが。

5.白山神社(深浦町吾妻沢)
まだ、探しに行ったわけではないのですが、場所の見当がついていません。地図になし。

6.長慶神社(長慶平)
まだ、探しに行ったわけではないのですが、場所の見当がついていません。地図になし。

7.富士宮(深浦字浜町)
※見つかりました!
7区影川原町。俗称権現様。まだ、探してもいませんが、具体的な場所がわかると嬉しいです。地図になし。

8.天満宮(深浦町浜町)
中沢町? まだ、探してもいませんが、具体的な場所がわかると嬉しいです。地図になし。

9.立山稲荷神社(つがる市木造菰槌千代森)
地図にあり。社号標も存在しているのですが、社号標からの行き方がわからないという…。地図では大きな沼の畔にあります。

10.八竜神社(鰺ヶ沢町)
上野地区?だと思うのですが。

11.竜神
鯵ヶ沢町真南4kmの行人沼に鎮座。まだ、探してもいませんが、具体的な場所がわかると嬉しいです。

12.大山祇神社(黒石市大川原字蛭貝沢)
沖楊平。探してみましたが、どこに鎮座しているかまったくわからず。

13.旧十湾宮(黒石市沖浦青荷澤)
十和田宮と本宮跡です。大体の場所は見当がついているのですが、どこから歩いて下りていくのかがわからず。本宮跡ではありますが、旧社に対する信仰心が根強く、旧社近くに社殿や鳥居を建てているそう。

14.大石大神祠堂・九頭竜大神祠堂・水源地守護神祠堂(弘前市水木在家字岩浪沢)
岩木山と紙漉沢・坂市の人々が祀る大石神社と、湯口の大山祇神社を結ぶ一直線上に鎮座。田中の庭とも呼ばれているこの場所は小学校の遠足の場所にもなっていたそう。地元の詳しい方にも色々聞いたのですが、教えてもらった場所に行っても何も見つからず…。
※諦めました。以下の記事(地元の方に教えて頂いた場所)も参照ください。
大石大神祠堂 九頭竜大神祠堂 水源地守護神祠堂 (弘前市)

15.大黒神社(黒石市袋白澤)
まったくわかりません。

16.浜龍王大神社(平内町福館)
近くまでは訪れていますが見つけられず。

17.三滝神社(平内町狩場沢堀差)
助白井?30年以上前から久渡寺の関係者が来山し土用の火渡りを例年行事としているそうです。平内町史に地図が載っているのですが、周囲にまったく目印がない地図で、どこの部分を切り取って掲載しているのかわからず。

18.大穀神社(平内町口広開拓)
現地まで行きましたが見つけることができませんでした。
※頂いた情報によりますと現存しないそうです。ありがとうございました。

19.夜越山神社(平内町)
まだ行ってません。夜越山山中?夜越山公園内?
※まだ行ってませんが、情報を頂いて鎮座地はわかりました。ありがとうございました。しかしながらどうやって行くのかわかっていません(参道入口及び参道がわかりません。)

20.戸門の十和田様・十和田神社・戸門龍神(青森市戸門)
R7号、戸門のごみ処理場を過ぎた山道を入って2㎞地点の沢沿いに大袋川の水。そしてそこから200m進んだ道を右折して2.5km進んだ地点に十和田様の霊泉。たぶん。未だ行ってないので確信が欲しいところ。

21.十和田神社(中泊町大沢内)
中泊町大沢内海原(40°56'11.5"N 140°27'35.0"E)

22.清瀧大明神
六戸町犬落瀬通目木。見つけれず。もしかして東北新幹線の線路建設で移動したとか?!
※まだ行ってませんが、情報を頂いて場所がわかりました。ありがとうございました。

23.神明宮(平川市松館)
見つけることができない神社の詳細は『神明宮 & 松館址 (平川市館山)』の記事に書いております。
※情報を頂きまして、ようやく見つけることができました。ありがとうございました。

24.八幡社&文殊堂(平川市沖館)
八幡社は沖館部落のやや中央部に鎮座。通称八幡様。昭和14年6月15日のコンクリート造鳥居。明治百年記念碑・神馬台座あり。沖館城跡の一角(中央南方?)と見られ、鎮守神八幡宮の小祠。
※部落中央部町道より幅約2mの参道が宅地の間を通っており、境内に至るそうです。
文殊堂は沖館部落のやや中央部を走る高畑~唐竹線の左側、今井稔氏の宅地内。石造鳥居。牛と虎の石造(大正14年正月13日)が一対、石灯籠一対(大正13年1月13日)。
文殊堂については情報を頂いて場所がわかりました。ありがとうございました。

25.森山八幡宮(大鰐町森山)
森山村河時謌館上に鎮座する森山八幡宮。場所というよりは参道(行き方)がわからない感じです。詳細は『八幡宮・河時謌館(大鰐町森山)』の記事を参照ください。

26.穴つぼ(五戸町)※神社ではありませんが。
得られている情報→浅水の十字路から西方に4km進むと豊川部落に達する。リンゴ園がある村はずれに渦巻型の穴つぼ(穴壺)と呼ぶ場所がある。直径15mほどの円形畑である。同部落の角浜太一さんが先祖代々受け継いできた畑で、渦巻き状に畝が作られている。後に蛇体となって十和田湖の主となった鹿角郡甲賀村の木村八郎(八ノ太郎)の伝説を残す場所。また、昔は蝦夷が住んでいた遺跡であり、渦巻きに畝を作らなければ鳴動してやまかったという伝説も残します。更に角浜家先祖に伝わるものとして、円形に作らなければ災いがあるという伝説もあります。なお、この穴つぼから南西へ約100mほどのところには盤若坊と呼ばれる小高い丘があり、頂上には樹齢200年以上の松や杉が生えており、そこに600巻の経典が埋められているという伝説もあります(※部落の人々は旧24日にこの丘に集まり酒を酌み交わしてお参りしていた時期があるそうです)。
得られている情報→倉石又重の太田と浅水の中間にあり、豊川の盆地であり、近くには湧き水がある。
得られている情報→先住民の信仰の場、先住民を巻き込んだ中央勢力同士の闘争の跡との噂もある。

27.神志神社(五所川原市)※廃社
場所はわかりました。しかも地図に載っていました。ここについては調べれば調べるほど普通の神社ではなかったので記事にしないことにしました。
意外に探している人も多いみたいですが、私が持っている地図には普通に掲載されていました。
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