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湯杜匠味庵山川」さんに宿泊し、観光マップ片手に小野川温泉街を散策してみました。
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まずは宿泊した「湯杜匠味庵山川」さんのギャラリー蔵にてお勉強。
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今上天皇がお泊まりになったことがあるようで、お食事されている写真や小野川スキー場でスキーを楽しんでいる写真がございました。
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『当館、湯杜匠味庵山川は、1868年(慶應4年)の創業です。湯の湧きいずる杜の宿として、地内にある源泉を幾代にも渡り大切に守って参りました。小野川の湯は、開湯よりその効能の良さが全国に広まり、近年まで多くの旅人や湯治客に親しまれております。源泉の温度が高く、ラジウム、ナトリウムの含有量もきわめて多いので、温泉卵や源泉粥、塩作などにも利用されてきております。大切な源泉を守り、自然の泉質を何も加えずに、かけ流しで本物の温泉を楽しんでもらいたい。当館はそんな思いを持って、お湯が自然に流れ落ちる所に浴室を作っております。その為、外気温により温泉の温度や色が変化したり、石や木の無垢の素材が変質、金属が腐食したりします。また眺望が無いなど、ご不便をお掛けする点もございますが、是非、本物の温泉の良さをいつまでも肌で感じていただけたら幸いです。当代館主』…とてもいい温泉宿で何の不便もありませんでしたよ。
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昔の絵図があって面白いですね。
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ちなみに田んぼアートがありますが、既に稲刈り後だったので紹介できません。伊達政宗公生誕450年ということで伊達政宗公を描いたようです。期間は5月28日~10月1日でした。
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米沢牛。
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置賜地方、鬼面川支流大樽川沿岸に位置。地内には小野小町に関する伝説を持つ小野川温泉があり、地名はこの温泉名に由来。天文22年の采地下賜録に「上長井庄小野川のうち」とあるのが初見。それによりますと、地頭領主として大枝左衛門・宮崎伊予が所領を下賜されています。その所領内には窪の在家・田代在家・かの在家・かけの下在家などの在家名が見えます。天正15年上長井段銭帳によりますと、大枝分1700苅役に340文、立石源八前500苅役に100文、小簗川新兵衛分・宮崎三郎左衛門分合わせて600苅役に120文をそれぞれ上納しています。同17年3月27日から4月1日まで、伊達政宗が小簗川泥蟠・富塚近江らの重臣や一家衆を伴って湯治しながら諸戦の策を練っています。東講商人鑑によりますと、小野川温泉には尼湯・滝湯・直湯の3つの湯種があり、富士屋をはじめ22軒の旅館が記されています。ほかに医師として鈴木宗益がみえ、富士屋弥兵衛は酒屋も兼ねていました。製塩の図も載せられており、上杉治憲の頃から温泉水から塩を採取。
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開湯の由来として次のような伝説が残されています。「承和3年(836)に小野小町が父親を尋ねるために京都から旅を重ねてこの地に辿り着きましたが、疲労が重なり大病を患って歩くこともできなくなりました。すると夢枕に峰の薬師がお立ちになり、小野川の地に温泉が湧いていることを教えます。小野川で温泉を発見した小町が3週間ほど浸かって養生したところ、病気は完治し、偶然釣りに来た父親とも再会することができました。」。小野川温泉の名称も小町からきているもので、温泉地には「小町休み石」や「薬師如来尊堂」など小町に縁があるものが点在しています。戦国時代には米沢城の城主伊達輝宗、天正17年(1589)には輝宗の跡を継いだ伊達政宗も湯治に訪れており、江戸時代に入り米沢藩領になると藩主上杉景勝や上杉鷹山、上杉家執政の直江兼続などが訪れ、米沢市の奥座敷として米沢十湯の一つに数えられています。小野川温泉は小野小町が開湯したということで美人の湯として有名ですが、ラジウムの含有量が豊富なため、婦人病、リウマチ、神経痛、火傷、打ち身などに効用があるそうです。小野川温泉の共同温泉は「尼湯」「滝の湯」の2箇所を低料金で利用でき、また、温泉街から少し離れた場所には無料の露天風呂(小町の湯)があります。
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滝の清水。
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滝の清水…『この名水は、小野小町が小野川温泉を開湯した1200年前から湧き続ける、温泉街の東にある清水山の山麓から引水した清水です。昔、温泉が自噴する小野川では井戸を掘っても温泉が湧き出て飲料水になりませんでした。この清水は小野川に水道が引かれるまで、町民の貴重な飲料水であり、水汲みの人々で賑わっていました。この清水は小野由来の「美人」「長命」の名水と言われています。滝の清水保存会』
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滝の清水前には「古峯神社」の社号標があります。
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社号標の紀年銘は大正5年6月13日。
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村中安全を願ったもので、清水のすぐ横には石祠もあり、火防の意図も感じられますね。
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滝の湯前、ラジウム玉子。
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ラジウム玉子…『小野川温泉は小野小町ゆかりの美人の湯です、4号温泉は80度の温度が有ります。卵黄より卵白が柔らかい温泉玉子は70度以上の温泉でないと作れませんが、この湯溜りは約72度あり、約12分程度で温泉玉子が出来上がります。小野川温泉はラジウム成分があり、温泉玉子をラジウム玉子と呼びます。小野川温泉は還元力が強く、小野川のラジウム玉子もマイナス53ミリボルトあり、美味しさの秘訣です。』
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霊泉小野小町。
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足湯&飲泉所です。桜湯の味がすると言われています。
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飲泉のすすめ…『小野川の温泉水には、多くのミネラルがイオン化され含まれ、また病気の主原因と言われる活性酸素を取り除くマイナスイオンが膨大に含まれています。効能:飲むと胃の粘膜の血液量が増え、痛風・糖尿病・リュウマチ性疾患・慢性肝・血圧降下・循環器障害改善等に効果があります。飲用法:1日にコップ1杯程度を1~2回食前1時間ないし空腹時に、ゆっくりと飲んでください。夕食時や就寝前の飲用は避けてください。※注:小学生未満の飲用は避けてください。小野川源泉協同組合』
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観光案内所&片葉の葦。野菜直売所もありました。ちなみに小野川温泉では季節・時間限定で朝市が行われています。片葉の葦は足湯です(午後10時迄)。小野小町が父を訪ねる旅の途中に葦の一方の葉が落ちて行き先を指し示したとか。
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足湯の効果…『小野川温泉は、ミネラルやマイナスイオンが多く含まれており浸透性が高い為、有効成分が深部まで吸収され保湿や新陳代謝を高め老廃物や余分な皮脂を除去し活性化し肌を活き活きと美しくする効果があります。さらに足は「第二の心臓」と言われ、温める事により全身の血行を良くし入浴と同じ効果が得られ、肩こり・腰痛・リュウマチ等にも効果があります。また、足湯周辺にはお湯からマイナスイオンが多く発生しており相乗効果が期待できます。小野川源泉協同組合』
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顔ハメ看板。前田慶次がどことなく「花の慶次」(原哲夫)風でした。
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道端に石祠があったりします(もやし場付近)。温泉熱を利用した豆もやしは小野川温泉と青森県の大鰐温泉の2ヶ所のみ。
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小野川温泉街ご案内板。
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西浦公園、ほたるの散歩道方面へ。昔の池を復元した公園があり、桜の名所になっているようです。
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小野川温泉はホタルの生息地としても有名(ほたる公園・蛍供養塔あり)で、夏には「ほたるまつり」が開催されています。春はサクラ、夏はホタル、冬はカマクラ!…訪れたのは田んぼアート終了後&紅葉前の秋です。温泉に集中できます。
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水神様。
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水が流れています。
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甲子大黒天本山が見えています。
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鈴木喜三郎君碑。
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上杉鷹山公塩田跡。
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塩田跡地…『米沢藩、九代藩主の上杉鷹山公はこの地で製塩事業を行いました。当時の米沢藩は深刻な財政悪化により幕府への領地返上も検討されました。鷹山公は質素倹約に努めるかたわら、たくさんの事業を手がけ藩財政の改善を目指しました。小野川温泉での製塩事業もそのひとつ。1772(安永元)年、米沢藩では仙台から技術者を招き、温泉を使った塩づくりを行いました。温泉を何度お砂にまき乾燥させ、塩分が付いた砂を溶かし、火にかけ水分を蒸発させるという方法で「塩」を取り出しました。』案内板をよく見ると製塩が行われていた時代の小野川温泉の絵図になっているのが面白いですね。
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佐藤豆腐屋。明治元年、初代運右エ門創業の名店。「こまちのほっぺ」食べてみて。
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豆腐地蔵。
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小さな小堂(切妻、銅板葺、一間堂)に安置。
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詳細は不詳なれど上記佐藤豆腐店に関連するものと考えられます。私が参拝した際には豆腐のお供え物はありませんでした。
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豆腐地蔵…『豆腐を奉納すれば願いがかなうと言われ、特に、安産と子育ての神様として著名である。夜泣きする子供の為に、願いをかけて豆腐をお供えすれば夜泣きしなくなると言われる。』
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豆腐地蔵の裏へ上がる石段がありましたがスルーして尼湯方面へ戻ります。
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扇屋旅館。明治34年の大火で全焼した時に立て直して以来、110年以上の歴史を刻んだ趣ある木造建築。米沢藩主の上杉家や浜田広介、司馬遼太郎、藤沢周平といった文人墨客なども宿泊として利用した歴史ある旅館。
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その扇屋旅館の建物の一部に「小町観音」がありました。
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鰐口。
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お堂内。
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小町観音の由来…『小町観音様は、小野川の奥地にて、人々の救いを求める声を聞くたび、その救いに応じておりました。しかし、奥地という事で、訪れる人も少なくなった為、この度、この地を安住の地とされました。これからも訪れた方々の心を癒し、救われることでしょう。平成14年6月建立。芳賀誠』
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温泉街の中央にある尼湯へ。
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尼湯前飲泉所「霊泉・峰の薬師」。
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「霊泉・峰の薬師」標柱と飲泉のすすめ…上記と同じ内容のため省略。
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尼湯。古くは伊達政宗が傷を癒したと伝える共同浴場。湯は青みがかった透明で、硫黄のにおいがある湯の中には湯の花が舞い、温度は熱めです。
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浜田廣介歌碑…『旅の芭蕉さま 世が二度あらば ござれ小野川 湯の宿に 廣介』
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裏面碑文…『市制施行百周年記念・芭蕉三百年祭記念。小野川温泉観光協議会・広介先生を偲ぶ会。平成元年10月13日。施工株式会社紫雲堂』
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浜田廣介歌碑…『米沢市の隣りの高畠町に生まれ、「泣いた赤鬼」等で有名な童話作家浜田廣介は帰郷する都度、たびたび小野川温泉に来訪し、この湯を愛し、「旅の芭蕉さま…」と読んだ。』
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ラジウム玉子製造所。
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亀屋万年閣。創業120年の歴史を刻む建物。
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高砂屋旅館。江戸時代以前から続く老舗。
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瑠璃光薬師如来尊の横にある「吾妻荘」前にいた猫。飼い猫のようです。人慣れしています。
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金乗院・小野川保養センター方面へと上がる坂道。
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三十三観音・月山神社・山の神神社方面へ向かう途中にあった神社。
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稲荷社のようです。
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三十三観音・月山神社・山の神神社入口。
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「月山神社・小野川三十三観音参道入口」「山神神社(大正8年10月30日)」の社号標があります。
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山道のようです。距離はわかりません。タイヤ痕もありますし、そんなに遠くはないと思いますが、温泉の後に汗をかきたくないので、ここで引き返し宿に戻りました。
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鳥居前から見た小野川温泉街。
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赤線が歩いたコースです。行けなかった所は次回のお楽しみ。なお、「瑠璃光薬師如来尊」・「金乗院」・「甲子大黒天本山」は別記事になります。
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