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関連記事:『恵光院(南部町)
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年1度(8月20日)の御本尊(県重宝十一面観音立像)御開帳に訪れました。
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南部町大向長谷。名久井岳の中腹に位置し、平安時代後期にこの地方で作られたとされる十一面観音像(県重宝)が安置されています。糠部三十三観音霊場第22番札所。
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長谷十一面観音堂は、恵光院の境内に建立されている建物であり、桁行3間、梁間3間、宝形造、鉄板葺(元茅葺)、外壁は真壁造、横板張り、建築年は不詳ですが何度か改修を繰り返し、現在は正面に1間の向拝が付けられています。
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内部は奥1間が内陣で、外側2間が外陣、当初はそれぞれが格子戸によって区切られており、本尊の十一面観音像が安置されていました。長谷十一面観音堂は昭和55年に南部町指定有形文化財に指定。
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寺宝も多く永正9年(1512)に奉納された巡礼札は観光上人が奥州糠部郡三十三観音霊場巡りの際に納めたもので、正面上部には阿弥陀三尊の種子、その下には「奥州糠部郡三十三所順礼本願観光上人永正九暦壬申六月吉日」、「三十三番」、「長谷寺」、御詠歌が書き込まれ青森県最古の巡礼札と言われています。笈は室町時代後期に製作されたと推定されるもので、元々は修験僧が仏具などを運搬するために使用する背負い式の箱として製作され、青森県内では遺存例が少ないことから上記の巡礼札と共に昭和33年に青森県指定有形民俗文化財に指定されています。
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長谷十一面観音堂前の石灯籠一対。
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観音堂前手水石。
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観音堂裏の建物。
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観音堂横の建物。
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馬頭観世音のようです。
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その横にかっこいい龍の石塔。
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ここには水が湧いているんでしょうか。
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こちらの建物内は…
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荒廃しておりよくわからず。長谷四十八末社略図のどれかかも。
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草木に埋もれている末社。
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棟札もよく見えず。
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末社。長谷四十八末社略図によれば白山堂。
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白山妙理大権現。
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回向柱。「弘法大師千百五十年御遠忌報恩謝」とあるので昭和59年。
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観音堂のイチョウ。推定樹齢及び樹高不明。観音堂に向かい合うように立っています。中々の大きさ。
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イチョウ近くの石灯籠一対。
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イチョウの横に色々ありますね。
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石造の観音像・靈光地蔵尊(昭和45年)。
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末社の八幡社(八幡大菩薩)。
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寫径塔。
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「天照大神・八幡大神・十一面観音・八代龍神・八百萬神」。
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観音堂前の案内板より…『【十一面観音立像一躰(青森県重宝・昭和33年1月22日指定)】蓮台山長谷寺(真言宗)の本尊仏であった十一面観音は藤原時代の製作であろう彫技にその特色が見られるが頭部にあとで手を加えたような遺憾がある。県下現存の仏像中最古といってよい一つで技法も優れている。この像は長慶天皇の御姿であろうという言伝えや長谷寺を移した時の伝説がある。いまある寺は長谷寺の別当寺宝珠山恵光院のあとである。【笈一個(青森県重宝・昭和33年1月22日指定)】長慶天皇の御料だったと言伝えられた笈である。室町時代末期頃の製作であろう。扉に桐の薹、雷文の文様を刻んである。県下にこの類の遺品が少く美術品としてよりは民俗資料としての価値が高い。【順礼札一枚(青森県重宝・昭和33年1月22日指定)】450年程前永正9年(1512年)観光上人が八葉山天台寺桂清水観音を第1番に、この長谷寺を第33番にきめて順礼した納札である。当南部町隅の観音(普門山円福寺)に第6番、七戸町金鶏山長福寺(見町観音)に第13番の2枚あるが、最終のであるため特に荘厳されている地方文化史の資料である。「入相のかねのひびきも松風もいづれをきくも法の御寺ぞ」南部町教育委員会』
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観音堂からもう少し石段を上った奥の院に十一面観音立像が安置されています。
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長谷四十八末社略図によりますとその途中に末社の一王子社と羽黒堂跡があります。
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羽黒堂跡はよくわからず。この辺かと思うのですが、松田家先祖之墓所跡とありました。
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標柱によると八幡神主(宝暦年代)らしいです。※長谷恵光院過去帳に依る。
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一王子社。
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一王子社内の棟札は平成13年5月の改修時のものでした。
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長谷四十八末社略図によりますと奥の院の後方に「伝南朝長慶天皇行在所跡」があります。ところで、御本尊(県重宝十一面観音立像)御開帳ですが、当然の如く撮影禁止なので、皆様も自分の足を運んでください。目と鼻の先で拝むことができましたよ。曜日に関係なく年1度(8月20日)です。一応微妙な写真の写真だけを参考までに掲載しておきます。
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十一面観音像(1躯)は平安時代初期から中期にかけて制作されたもので一木素木造、像高166.8cm、青森県内最古の仏像として昭和33年に青森県重宝に指定。木造彩色で頭と体幹部を一木で造り、頂上面は揃っていますが少し傷んでいるものもあります。額の白毫がなく両腕は肩で矧ぎ合わせになっています。右腕は垂れて下に伸ばし、左腕は肘を曲げて前に出していますが、両手とも指は欠けて無くなっているので、持物は何であったかはっきりしません。条帛は左肩から掛かっており、天衣は腰のあたりから下は欠損しています。衣皺の線条は割りに浅い彫りで、像全体はおおらかな輪郭の彫刻です。光背も台座も無くなっています。面貌や体躯の一部が削り直されているため印象を損ねていますが、頭上面に伺える当初の面影には平安時代後期の性格が見え、また、大づかみなモデリングなどはこの地方で制作された特色と考えられ、県内で制作された最古の仏像といえます。昭和62年に県重宝の彫刻としては初の保存修理が行われており、面目を一新しました。ちなみに国の文化財保護審議会専門委員である久野健博士の鑑定によりますと、おおらかな素朴さから強さを感じさせるところは地方作の特徴であり、ふくよかな輪郭の面相でありながら目のきついような感じや、唇が少しとび出しているようなことからも、平安時代初期末から中期初頭ぐらいの作であるといわれています。
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女神像は平安時代から南北朝時代の地方の作と見られ、男神像も対としてあった可能性があります。神像は、高貴な人物をモデルに作られるものですが、この女性像のモデルとなった人物は不明。平成元年から2年にかけて虫害や腐食に対する保存処理を行っています。像高35cm。木像(桂)。
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十一面観音立像一躰(青森県重宝・昭和33年1月22日指定)…『恵光院(元長谷寺)の御本尊であり、古くから信仰され奥州糠部郡三十三番、観光上人の順礼札が同院に所蔵されている。この十一面観音は、11世紀(平安初期から中期初頭)ごろの作(鉈彫り)といわれ、青森県内で作られた最古の仏像として、昭和33年県重宝の指定を受けた。観音菩薩は、三十三に姿を変えて衆生のあらゆる願いに応えてくれるという。十一面観音は奈良中期ごろから作られ、十一面観音の名は、その像容が本面の上に十ないし十一の面を持つところからきている。昭和62年、保存修理を施され、同63年7月完成したこの奥の院に安置された。』
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