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南部町大向長谷。真言宗豊山派宝珠山惠光院。御本尊十一面観音。南部町大向長谷。名久井岳の中腹に位置し、平安時代後期にこの地方で作られたとされる十一面観音像(県重宝)が安置されています。糠部三十三観音霊場第22番札所。
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山門。
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山門額には「蓮台山」の山号を残します。
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かつての大向村で集落中央に長谷山神社が見えます。御祭神は伊耶那岐命で旧村社。また恵光院の隣りに天狗杉があります。「南無帰命はせの御寺や蓮台の山もちかいもふかき谷川」。かつて名久井岳の山麓のこの地に伽藍を誇った長谷寺の山号が蓮台山であり、名久井岳を南部町の方から見ると外輪山が蓮の花の形に見えるそう。長谷寺自体は江戸時代初期に南部家が本拠を三戸城から盛岡城に移した際に盛岡城下に移り、その境内跡地に長谷寺の搭頭の1つ恵光院が残り、堂宇や寺宝などを引き継ぎました。
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宝珠山恵光院の創建は室町時代の元中7年(1390)で、恵光院本尊である長谷十一面観音像を祀っていることから長谷寺とも呼ばれました。また、別の由緒によりますと、建徳元年(1370)、長慶天皇の弟である明尊により開かれたとされ、境内背後の高台は長慶天皇が僧侶と偽り当地まで逃れ御所を構えた場所で、天皇も当地で崩御されたと伝えられています。
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青森県ではこの南部町の恵光院及び有末光塚の他、青森市浪岡の広峰神社龍田神社と紙漉沢、五所川原市元町八幡宮、六戸町鶴喰の若宮八幡神社、犬落瀬等々の伝説が残されていますね。恵光院の長慶天皇潜幸伝説では、長慶天皇が修験に身を変えてお供を連れ山を登り、恵光院の地に御所を構えたと伝えます。有末光塚(円墳+石碑)は長慶天皇が崩御した場所と伝えます。また、御本尊十一面観音は長慶天皇のお姿を写して作仏したという伝説もあります。『青森の伝説(森山泰太郎・北彰介)』によりますと、「昔、陸奥の北畠守親が、長慶天皇を吉野からお迎えしたとき、八戸の根城に拠っていた南部氏が、この長谷に行宮(仮の御所)を造営してお住居とし、警衛したという。ところがそのことを北朝方に知られたので、ここも危うくなり、天皇を津軽の浪岡へお移しした。しかし表向きは崩御と称して大葬を行ない、石塔まで建立して、有末光院と称したと伝えるのである。」とあります。
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ちなみに南部煎餅は長慶天皇創始説があります。南北朝時代の頃、南朝の長慶天皇が名久井岳の麓の長谷寺を訪れ、食事に困った時に家臣の赤松助左衛門が近くの農家からそば粉と胡麻を手に入れ、自分の鉄兜を鍋の代わりにして焼き上げたものを天皇に食事として出しました。この食べ物が後の南部煎餅の始まりであるとする説です。更に天皇はその風味を非常に好んで度々、赤松に作らせ、天皇は煎餅に赤松氏の家紋「三階松」と南朝の忠臣楠木正成の家紋「菊水」の印を焼き入れることを許したといいます。現在の南部煎餅には確かに「菊水」と「三階松」の紋所が刻まれています。
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本堂にも「蓮台山」とありました。
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本堂裏。
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有名な長谷ぼたん園があります…が、季節外れに訪れているため紹介はできません。
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長谷ぼたん園の由来…『この長谷ぼたん園は、隣接する恵光院の檀家一行が、総本山である奈良県桜井市の長谷寺からぼたんの苗を譲り受けたのをきっかけに、昭和54年から南部町(現南部町)がふるさとづくりの一環として、「町民一人一本」を合言葉に整備に取り組んできたものです。平成13年には環境省「かおり風景百選」に認定され、見ごろとなる5月下旬から6月上旬、華麗に咲き誇る大輪の花は、忙しさと雑踏の中に生きる私たちの心に癒しと潤いを与え、訪れる人々を魅了します。』
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立派な三重塔がありました。
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とはいってもこのサイズですが。山号額にはやはり「蓮台山」。
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小祠。
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地蔵菩薩のようです。地蔵菩薩堂再建棟札の紀年銘は平成13年9月吉日。
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達者村百景案内板。
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景観ポイントに選ばれているのは以下の6ヶ所。
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地図。
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名久井岳県立自然公園案内図。
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県重宝の巡礼札と笈の説明がありました…『巡礼札:巡礼札は永正9年(1512年)観光上人が八葉山天台寺(桂清水観音)を第1番に、この長谷寺を第33番にきめて順礼した納札「八相のかねのひびきも松風もいずれをきくも法の御寺ぞ」と朱書きされてあり地方文化史の貴重な資料である。笈:笈は菱雷紋の地紋に金箔を置き五三の桐紋を刻し、長慶帝の御料だったと伝えられている室町末期の作で県下にこの頃の遺品が少なく美術品としても民俗資料としても価値が高い。』
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長谷四十八末社略図…『長谷寺創建後、当時は深い山林の間を通り峰づたいに頂上まで建立され、修験者が修行祈願されたといわれる。その後近世になり、地元の人々が旧暦9月29日、大向和泉山、赤石の諸社を合わせ48末社として頂上まで参拝する風習が続いている』
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愛読書の『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)に、末社旧熊野権現は罔象女命を祀っていたという記述があり、それだけでも参拝しようと考えていましたが、まさかこんな広範囲に渡り48社(大向和泉山、赤石の諸社を合わせて48末社)もあるとは…しかも登山道!この地図は略図でわかりにくいですし、時間がないのであきらめます。今回訪れた目的は年1度(8月20日)の本尊(県重宝十一面観音立像)御開帳なのです。ちなみに当案内板地図に掲載されているものだけを紹介しますと、「至法光寺林道」「登山道」「長谷恵光院」「長谷観音堂」「傳南朝長慶天皇行在所跡」「羽黒堂跡」「一王子」「白山堂」「八幡社」「農神堂」「雷神堂」「羽黒山大権現」「深山大権現」「清水観音」「熊野大権現」「文珠菩薩堂」「千手観音」「桂清水観音」「祓川」「荒沢不動堂(鳥居含)」「稲荷大明神」「妙見堂」「山の神」「勢至観音」「虚空藏堂」「大日如来」「薬師堂」「月山様(日月堂)」「普現堂」「嶺天神」「駒池蒼前堂」「鬼ヶ城大観音」。
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達者村百景にもある県天然記念物の天狗杉だけ見に行ってみることにしました。名久井岳登山道入口に天狗杉の案内板がありました。
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天狗杉(青森県天然記念物)…『長慶天皇御来山のおり、従者が大和の国より種子を持ってきたとの伝説があります。300年の時を生き抜き、帯化した幹の上部は、天狗の座所を連想させ、不思議な力を感じさせるパワースポットです。』
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登山道入口にある末社。
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地図によりますと文珠菩薩堂・千手観音・桂清水観音。末社ってこのような感じなんですね。
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さて、登山道はこのような感じで整備されています。
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200mなら余裕そうです。
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登山道を少しだけ進むと中央に石祠がある三叉路に。登山道右は「月山経由1.8km」、左は「天狗杉経由1.5km」。右に行けば荒沢不動尊も近いですね。時間があり、かつ軽装じゃなければ個人的には到達できる距離だったかも。
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天狗杉を見るために左へ。石祠は何かわかりませんでした。棟札も見ていません。末社のどれかでしょうが、上記の地図の見方が大雑把でいまいちよくわかりません。
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こちらの石祠も四十八末社の1つなのかな。
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で、少なくとも天狗杉までは勾配もさほど無く、200mという距離を感じないまま到着。
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こちらが天狗杉です。
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天狗杉(青森県天然記念物)…『☆長慶天皇御来山のおり、従者が大和の国より種子を持ってきたとの伝説がある。☆三百有余年の時を生き抜き、帯化した幹の上部は天狗の座所を連想させ不思議なパワーを感じさせる。パワースポット…あなたは何を感じますか?』
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私は普段から寺社仏閣・史跡等を訪れることが多く、巨木を見過ぎているのかも知れません。あなたは何を感じますか?…疲れです。
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天狗杉の根元にあった石祠。
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