弘前市大沢堂ケ平。以前、桂清水と御茶水を訪れた際の記事を調べてみたら2011年だったので久々の訪問です。今回は桂清水のみ。
堂ケ平桂清水…『鎌倉時代初期、この地方に大きな勢力を誇った熊野系修験の福王寺跡とされているところで、藩政期には金光山市応寺が置かれ一大修験場として栄えたと伝えられており、今も当時をしのぶほこらが残っています。清水は林道の突き当たりのカツラの老木の間からこんこんと湧き出し、山菜取りの人や林業に従事する人の飲料水や参拝人の浄水として利用され、ふもとの田畑を潤しています。昭和63年2月に県指定の「私たちの名水」に選ばれました。』
まったく変わっていませんね。安心しました。
「桂清水」石柱。
紀年銘大正9年6月1日。
豊富な湧水量。癌や糖尿病に効能があるとかないとか…いずれにせよ人気の湧水です。桂清水は「おさ(大沢)のどがで(堂ヶ平)の桂水呑めば六十婆様も若ぐなる(若がえる)」と俗謡にあるほど有名な名水ですが、そもそも桂清水信仰は天台寺麓の桂清水(桂泉観音)に由来するといい、当時の天台寺の支配力(支配下)の名残りを感じさせますね。
桂の木の根元から湧いています。
よく見ると木の根には義眼が埋め込まれており、龍の口から水が出るように造られています。
周辺を少し散策します。まずは桂清水のすぐ近くに見える小祠。
龍神祠。鏡と木彫の龍神様が祀られています。
山ノ神。
鳥居をくぐって少し上ると大山祇神社です。
社殿。
二体の山神像が祀られています。
大山祇神社向かって右の道を更に上って行くと燈明杉があります。
燈明杉の横にも小祠。
狛犬一対。
こちらも大山祇神社(山ノ神)です。
社殿内。
山ノ神(燈明杉)から下ってきて、桂清水とは逆の道へと更に進みます。
燈明杉に負けないくらいの巨木があります。鍵掛向き。
大きな池に囲まれている社は辨天堂です。堂ケ平山北側中腹には市応寺という修験の寺があり、毘沙門天・不動明王・観音菩薩を祀る堂社及び弁財天が併祀されていたと伝えます。また、阿闍羅の不動明王、久渡寺の観音、乳井の毘沙門堂の三地点の中心で、各11~14kmの峰づたい、峠路の古道で、これらの道の往復は修行の一方法であったといいます。
弁天池。『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)には次のようにあります。『(前略)ここで特筆したいのは大沢の南、堂ケ平山の中腹にある毘沙門堂の弁天宮である。堂ケ平には樹齢500年をこえる竜燈杉があり、古い伝えによると市応寺という修験の寺があったという。現在の堂社は毘沙門天を中心に、不動・観音のトリオに、弁天を併祀している。この弁天堂は桂清水が流れ込む小池の中にあるが、この池にはモリアオガエルが棲息し、初夏に池辺の樹木に卵を生む。ご承知のように、モリアオガエルは夜間に樹上産卵するので、朝になると、長芋をすったような真白なこぶし大の卵塊が水辺の葉上にくっつく。実に見事で、地方によっては錦襴の袋と呼ばれ、当地では「モチ」がつくといい、この多少によって豊凶を占ったのは前にのべたクロサンショウウオの卵の場合と共通する。前日までなかったところに翌朝真白な卵塊を見つけた時は、サンゴに打った米で、神仏が「モチ」を作って教えてくれたと素朴に信じたのである。』
ちなみに弁天様の一の鳥居(もしくは毘沙門宮の一の鳥居)は、桂清水へと上がってきた車道(林道)途中にあるので少し離れています。鳥居から参拝してもいいのですが、弁天池から流れ出た水で足元が悪いです。
橋を渡ります。
覆屋にある弁財天の絵。ちなみに辨天堂の堂宇の上には大澤澤陽吟社による俳句12句が掲げられていましたが、暗い上に達筆だったのでちゃんと読みませんでした。紀年銘は昭和27年5月25日。
辨天堂内中央の絵は九頭竜でした。蛇の絵馬などもあり、弁天宮というより龍神宮といった雰囲気でしたが、いずれにせよ水神でございます。
毘沙門宮へ。
毘沙門宮。毘沙門堂再建棟札「享和二壬戌年庄屋小田桐九右衛門 奉再造毘沙門堂一宇 九月大吉日別当仙乗院」。
毘沙門宮内。
毘沙門天の絵や馬の絵が数枚奉納してあります。『津軽ふるさと散歩(小舘衷三)』によりますと、「(前略)毘沙門系の信仰地であった。堂内の大掲額の絵は、毘沙門天、不動明王、観音のトリオで、比叡山信仰の一パターンであり、さらに弁天様がかき加えられている。」とあります。
小さな池。
淡嶋社。
淡嶋社内。
遠くに見える建物は観音堂です。
観音堂までは少し坂道を上ります。
ちなみに観音堂の入口となる鳥居も、桂清水へと上がってきた車道(林道)途中にあるので少し離れた場所です。むしろ本来の順路は駐車場側からではなく、こちらがスタートでしょうね。
観音堂参道。
十一面観音堂(天日鷲の命)。
観音堂内。さて、蕎麦打ち用のお水を頂いて帰ります。
蕎麦打ちの後は鍛冶町でお寿司を頂きます。
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