一の鳥居のライト付の貫…ありそうで見たことなった(笑)しかも貫だけ新しいものですね。
天祖神社。御祭神は天照皇大神、豊受姫大神。
例祭日は8月第4土日。羽田神社の兼務社です。
草創不詳。
萩中村は荏原郡六郷領のうちで、江戸時代後期より神社として神明宮がありました。この神明宮が当萩中神社です。
本殿覆屋。
手水舎。
石灯籠一対。
旧台座:紀元2600年記念。昭和15年9月吉日奉納。
新台座:紀元2672年(平成24年)4月吉日改修。
狛犬一対(昭和43年秋・氏子中)。
平成28年度祭禮奉納御芳名。
力石。
萩中「力石」について…『萩中神社には昭和初期の頃萩中町会の若い人を中心に「力石」を使って■話がありました。「力石」は「石担ぎ」とも■■■いたそうです。娯楽の少なかった時代に若い人が力自慢を競ってこの「力石」を肩に担いで境内を一周したそうです。この話を数年前に聞き萩中青年会ではこの「力石」が境内に残っているとのことで探したら当時使われていたと思われる「力石」が五■あったことが■■ました。こ■■■■したものが当時使われていた「力石」■すこれらす■■■■には■■「萩中■奉納す■■■■の刻まれています。■■■■■■■■■■■■■戦災により火をかぶり石■脆くなっているものもありますが当時を■■せ充分の重さがあります。萩中の先人の■■の遺徳■■■■■■■いでいきたいと思い■■■■■ここに展示します。平成■年■■■■萩中神社、萩中青年会』
結構文字が消えていて読めません…力石違い。
不明の石。
社務所・神輿庫。
萩中東官守稲荷神社。
羽田七福いなりめぐりの1番札所で身体安全の御神徳。
手水舎。
狐一対。
東官守稲荷神社は昔は萩中町7番地(旧番地)辺りにあり、敷地も広く東に向き、海に向かって建てられていました。当時この地の住民は半農半漁の生活をしていたため、海における仕事の安全を祈る守護神として信仰を集めていました。大正6年の風水害により社は被害を受けましたが、萩中神社再建の際に萩中神社境内に移されました。また昭和20年4月に戦災の為焼失するも町民の努力により再建。
広い境内です。
竹林。
とし竹林…『この竹林は、相川鋳工所(荻中1丁目4番17号)の敷地内に群生しておりました竹林の一部を相川様のご協力と鈴木とし女史の資金奉納により荻中神社境内に移植されました。附帯工事で境内に荻も植栽しました。よって、この竹林を「とし竹林」と命名いたしました。』※漢字が「荻」になっていました。
奉納桜(染井吉野、若木高さ4m3本)…『右、萩中町会創立60周年記念事業祝いとして奉納申し上げます。この奉納は、萩中町会会員のご協力による資源回収の報奨金を原資としました。平成26年11月29日(大安吉日)大田区萩中町会』
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