
御祭神は愛宕大神・迦具土命、稲荷大神・豊受姫命、八坂大神・建速須素男命。


愛宕山花巻神社(鎮座地:花巻市愛宕町384番地1・例祭日:9月6日、7日)…『由緒…当神社は、往古より里の人々の厚い信仰を受けていた愛宕神社・稲荷神社二社が両氏子崇敬者の永年の願いにより昭和30年に合祀され、名称を花巻神社と改称した。その後に愛宕神社境内地内に鎮座の八坂神社を合祀し、昭和58年には現境内地に移転御造営を完工した。花巻開町以来の里の守護神を祀る尊崇篤い神社である。御祭神愛宕大神・迦具土命…天正19年(1591年)南部藩26代信直は、北秀愛に稗貫・和賀八千石を与えて花巻郡代に任命した。秀愛は盛岡に通ずる街道筋として文禄中(1593年頃)四日町の開町に重点をおいた。その後、父北信愛(松斉)が2代目の郡代に任ぜられる。花巻の地は伊達氏と境を接する軍事的な要地であり、松斉は慶長16年(1611年)南部利直の命をうけて当時鍋倉にあった萬福寺を花巻に移し、八幡寺と改め稗貫・和賀両郡十ヵ寺の本寺とした。その鎭守として軍神・火防の神である愛宕大神を勧請した。稲荷大神・豊受姫命…天和元年(1681年)胆沢郡より遷座し、その年の9月9日遷座の霊験として、一夜の間に境内は烈しく亀裂して清水が湧き出たのを始めとしてたびたび種々の奇瑞があり、時の郡司がこれを非常に敬慕し国主に上達した。これに対して国主は畑地を寄進し、氏子は相図り社殿を造営して、篤く祀った神である。五穀豊穣・万般の産業の守護神として信仰されている。八坂大神・建速須素男命…八坂大神の鎮座は年号不詳であるが、古来よりの口伝によれば和賀から夜半松明を振照らして遷宮したことにより、火振天王と称され、例祭には氏子が夜半松明を振り振り参拝するのが例であった。家内安全・疫病退散・五穀成就の神として崇敬されている。』

参道。


手水舎。

広い境内です。


狛犬一対。


社殿。

向拝。

社殿内にある稲荷神社・愛宕神社合祀・花巻神社改称50周年記念奉納の天狗。

本殿。

本殿横の建物…稲荷神社かな。


最初は神輿庫かと思ったのですが宝珠がついていました。

その上に鬼瓦。

裏手に回ると小さな末社がありました。

お狐様は古そうですね。

境内社の太子社。御祭神は聖徳太子(厩戸皇子)。鎮座日は不詳。例祭日12月22日(納めの大師の翌日)。御縁日は毎月21日。

太子社由緒…『御神徳:聖徳太子は、推古天皇の摂政として、十七条の憲法や冠位十二階を定めるなど国政を善く導き、また遣隋使を派遣し海外の新しい技術や文化を広く取り入れるなど、国の繁栄に大いに尽力した。中でも、世界最古の木造建築である法隆寺の建立者として、日本の建築技術を向上させた事から大工等の職人の神として祀られる様になった。由緒:当社に残る明治・大正の記録からも、古くから花巻の大工・職工の人達が太子講を組織し、親交を深め、互いの工芸鍛錬の道を極め合いながら歩んで来た事が窺える。その精神は、現在にも脈々と受け継がれている。』

太子社付近の石塔群。


金毘羅大権現、馬頭観世音、月三山、古峯神社、山神、當國三十三所観世音などの石塔群。





こちらの石は何かが壊れた時のものかな。

梅野善助先生之碑、天満宮、石鳥居寄附者名碑など。

忠魂碑。

神楽殿。

お百度撫石。


巳輪社。御祭神は大物主大神。例祭日は10月24日。御縁日は3月23日(鎮座日)・4月9日・癸巳の日。

巳輪社縁起…『大物主大神は、国造りの神様として、農業、工業、商業すべての産業開発、方除、治病、交通、縁結びなど、世の中の幸福を増進することを計られた人間生活の守護神である。この神様は、奈良県桜井市三輪に鎮座する大神神社(おおみわじんじゃ)の御祭神で、蛇体であったと伝えられていることから、平成25年の癸巳年に発願し、勧請したものである。』

龍神社。御祭神は彌都波能賣神。例祭日は7月30日。御縁日は壬辰の日。

龍神社由緒…『昔から「火防の池」は、日照りの時でも水が涸れることがなかった。このことから、この池に永年に亘り鎮まり、お護り戴いている水神さまの恩頼(みたまのふゆ)に感謝し、堂宇を設けその御神霊を勧請したものである。』

火防池。

花巻神社移転御造営記念碑(昭和58年12月19日竣工・昭和63年11月23日建立)。

花巻神社合併、改称50周年記念事業碑(平成18年3月24日)。

古峯神社碑。

御神木…『花巻市銘木、巨木 文化財 右「コウヤマキ」中央「ツガ」左「トウヒ」』




境内からの眺望。

神社入口付近にあった八幡寺跡由緒。

『八幡寺は南部氏が和賀・稗貫・志和の三都を領地として安堵された時、花巻城の祈願所として新たに創建された寺院です。伊達藩との境を守る城として花巻城が整備され、城下町が作られていきました。盛岡藩2代目藩主南部利直、花巻郡代北尾張守信愛松斎の頃です。八幡寺の役割は専ら花巻城の永続、繁栄と戦勝、及び領内の安定を祈願することでした。寺領は50石、和賀・稗貫二郡の真言宗の惣禄寺院として末寺は十ヵ寺ありました。庫裏は7間に14間、境内は420坪もあり、空掘、櫓門、塀には矢狭(やざま)といった城の構えさながらのものでした。このような構えは南部領内では大迫の妙泉寺と八幡寺だけです。そのために鎮守の神として祀られたのが愛宕大権現です。今は花巻神社と改称しています。八幡寺は明治初年の神仏分離に際して廃寺となり、その面影を知ることが出来ませんが、その宝物の一部は市内の寺院に伝えられています。』

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