立派なトイレ。
御手水舎。
亀がいます。
『この御手水舎は東京材木問屋熊野屋安兵衛の奉納で、耳ある亀を前柱の礎石に、銅葺き流れ造りである。鋳銅の亀は東京在住の青山建作氏が昭和54年参拝30周年を記念して多年蓄積の浄財を充て再復奉納されたものである。江島神社』
青木泰夫句碑「沖へ沖へ水脈太く曳く初霞」(右)・鳥居修復記念碑(文政10年)(左)。
奥津宮の鳥居・石灯篭一対(文政12年)。
伝頼朝寄進の鳥居…『鎌倉幕府を開いた頼朝は政治の方策としての信仰を、大きく取り上げ、各地に社寺伽藍を創建したが、その一つとして江島神社にも数度にわたって参詣、参籠しそのつど信仰上の対象を寄進しています。 吾妻鏡によるば「頼朝は養和2年(1182年)奥州平泉の藤原秀衡を調伏するため、京都高尾神護寺の文覚上人に命じて弁才天を岩屋に勧請し、参詣の際には鳥居を寄進しました」とあります。現在の鳥居は平成16年(2004年)の台風で破損し、補修されたものですが、源頼朝寄進の鳥居は、これに似たものが建てられたと伝えられています(設置の場所も形も特定できません)。』
亀石。
亀石(亀甲石)…『古い標文に「鎌倉四名石の一つで、またの名を「蔵六石」という。」とあります。「武江年表」に文化3年(1806年)弁秀堂という人が弁財天を信奉して金光明最勝王経を写経しここへ納め、上に置く石を探したところ、亀の形をした石を発見したので江の島に奉納したと書かれています。大いちょうの木の下に置かれています。』
力石。
力石の表面には盃状穴のような穴があり、お賽銭が入ってました。
力石…『江戸時代に日本一の力持と言われた卯之助(岩槻藩)が当神社に奉納したもの。重さ80貫(320kg)で、石には「奉納 岩槻夘之助持之 八拾貫」と刻まれている。弁財天の祭礼に詣でた人々の前で力競技を行なった時のものである。』
奥津宮。
狛犬一対(宝暦11年)。
石灯篭一対(弘化3年)。見応えのある石灯篭です。
台座も面白いです。
奥津宮拝殿。
しゃもじは弁財天の琵琶に見立てています。
拝殿天井。八方睨みの亀。
八方睨みの亀の絵…『江戸時代、享和3年(1803年)画家・酒井抱一が描いた「正面向亀図」です。どこから見てもこちらを睨んでいる様に見えるところから「八方睨みの亀」と呼ばれています。正面向きの亀を桐材に金箔を押し、強い線で描かれ、もとは胡粉、緑青、丹色で彩色されていました。原絵は海風の侵害からまもるために、江島神社の宝殿に納められています。いま奥津宮にかかげられているのは、平成6年(1994年)に片岡華陽画伯が描いた復元画です。酒井抱一がなぜここに亀絵を奉納したのかはわかりませんが、亀は長寿のシンボルで、江の島は不老長寿の島として人々に人気がありました。』
奥津宮本殿。
奥津宮…『江の島島内三ヶ所のお宮(辺津宮、中津宮、奥津宮)を総称して江島神社といいます。江島神社は、福岡県の宗像神社と同じく、多紀理比賣命、市寸島比賣命、田寸津比賣命の三柱の女神を祀っています。奥津宮は三女神のうち多紀理比賣命をお祀りしており、昔は「本宮御旅所」と称されていました。この由来は、岩屋本宮に安置してある仏像を、岩屋付近の荒い波から避けるため毎年4月中旬から10月中旬までここに遷座したことによります。天保12年(1841年)に焼失し、翌13年に再建されたものが現在の社殿です。当社の弁財天は日本三大弁財天の一つで、七福神の弁財天として、また芸能を司る妙音天女としても崇敬され、江戸時代は庶民、歌舞伎役者、武士と幅広い階層から信仰を集め、大変賑いました。』、『多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)をお祀りしています。多紀理比賣命は、三姉妹の一番上の姉神で、安らかに海を守る神様といわれています。相模湾を臨む岩屋に一番近い奥津宮は、昔は、本宮または御旅所(おたびじょ)と称され、社殿は壮麗を極めていましたが、天保12年(1841年)に焼失。翌13年に再建されたのが、現在の御社殿(入母屋造り)です。更に平成23年(2011年)に御社殿を修復致しました。養和2年(1182年)に、源頼朝により奉納された石鳥居や、江戸の絵師・酒井抱一が拝殿天井に描いた、どこから見てもこちらを睨んでいるように見える「八方睨みの亀」は有名です。』
山田検校顕彰碑…『題字「宏達」源通久題。山田検校名は勝善通稱斗養一本姓は三田氏父名は了任母は山田氏寶暦七年四月廿八日生る幼にして明を失ふ資性聰敏音律を解す乃ち諸家に就きて筝を學び後山田松黒を師とす恩師慈母姓偶合す因りて山田氏を冒す検校人と為り温順平正争はず其の筝に於けるや既に出藍の譽を馳せ後一家の風を成す新曲を製する甚多し曲皆秀美或は華麗或は高雅或は凄婉或は幽峭聞く者感ぜざる無し是に於て上下翕然感に山田流を稱し世の筝を学ぶ者大半其門に出づるに及べり當時旧曲を墨守する者囂然として譏誹せしも然も検校の徳の圓なると曲の美なるとを終にこれを如何ともする能はざりし者なり検校文化十四年四月十日卒す今に至る百年餘勲猶顕赫所謂山田流筝曲天下に咸行す嗚呼偉なる哉検校の大名遺澤此像と共に永く不朽に存せり。大正六年四月十日文學博士幸田成行撰小野鵞堂書』
山田検校像。
山田流箏曲流祖。
石灯篭。
龍宮鳥居。
龍宮(わだつのみや)。
龍宮は奥津宮の隣、岩屋本宮の真上にあたる所に平成5年(1993)、崇敬者の御篤志により建てられたお宮。江の島は、湧出以来、龍神の坐すところとなり、古来、龍神信仰は弁財天信仰と習合されていました。その密接なる結び付きは、『江島縁起』を始め、『太平記』等に多く残されています。
御祭神は龍宮大神。毎年9月9日例祭日。
狛犬一対(平成5年)。
石灯篭一対。
面白い形をした手水舎。
『江の島 ~ 其の漆(岩屋 / 神奈川県)』へ続く…
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