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高野山真言宗最福寺別院江の島大師。
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金剛力士像。
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地蔵菩薩。
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慈母観音菩薩。
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福島漁村の句碑。
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『昔、この場所には江の島館という旅館があり、福島漁村はその旅館の主人でした。漁村は、間宮露軒(中津宮境内に句碑あり)と同じく、恵比寿楼の永野泉山の門下で俳諧・歌学を学び、特に優れた弟子でした。句碑は、漁村の三回忌である昭和31年(1956年)につくられたものです。旅館はその後、火災により焼失しました。「貝がらも 桜の名あり 島の春 漁村」』
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江の島にはかつて、欽明天皇13年(552)に起源をもつとされる神仏習合の金亀山与願寺があり、また、弘仁5年(814)には弘法大師空海が参拝し社殿を創建したと伝えられています。しかしながら、明治期の廃仏毀釈や神仏分離令により、与願寺の神道部分は江島神社となって存続する一方、寺は廃され僧侶は全員僧籍を離れて神職となりました。江の島大師は、島から仏教寺院がなくなって百数十年を経た平成5年に旅館「江の島館」(昭和39年廃業)跡地に最福寺(鹿児島市)の関東別院として創建。本尊は不動明王で、室内にある像としては国内最大(高さ6m)で、赤不動と呼ばれています。
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本堂内。
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御岩屋道通りに戻ります。
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一遍上人の島井戸。
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石柱には「一遍上人成就水道」とあります。
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一遍上人の島井戸…『時宗(総本山は、藤沢市の遊行寺)の開祖である一遍上人が遊行をした旧跡で、飲料水に窮する島民を助けるために掘り当てたと言われ今も水をたたえています。上人自筆と伝えられる「一遍成就水」の額は江島神社に残されています。また、この近所にある蓮華池は一遍上人修行の旧跡とされています。』
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山ふたつ。
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山二つ…『江の島をちょうど二分する境となっていることから、俗に「山ふたつ」といわれています。断層に沿って浸食された海食洞が崩落したことで「山ふたつ」が出来たともいわれています。サムエル・コッキング苑から下りてくる階段横には、赤茶色の地層が見えます。これは関東ローム層で、箱根・富士山の火山灰が堆積したものです。』
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誘惑いっぱい。
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木食上人・阿弥陀如来古蹟碑(東京大師八十八霊場講)。
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木食上人行場窟…『山ふたつの谷底に、木食上人行場窟と呼ばれる洞窟があります。そのほぼ中央に高さ約1m、幅約80cmに扁平石を組み合わせて石廊を築き、その上に石造阿弥陀如来の立像が安置されていました。木食とは、五穀(米・麦・アワ・キビ・豆)を絶ち、木の実で生活することです。この修行を木食行といい、木食行をする人たちを木食上人と言いました。』
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群猿奉賽像庚申塔。
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これは珍しい庚申塔ですね。見たことないタイプ。
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群猿奉賽像庚申塔…『多数の猿がその本尊である山王神をたたえ、祝っているという大変珍しい庚申供養塔です。花崗岩で造られ、総高143cm、塔身高86cm、幅42cmです。建立された年も寄進した人も刻まれていませんが、江戸時代後期のものと思われます。基壇は岩座のように造られ、塔身の基座には蛇が巻き付いているように作り出されているのは、弁財天信仰にちなんだものです。塔身の四面には合計36匹の神猿がそれぞれ異なった姿態で山王神の神徳に奉賽しているという構図です。猿は古くから日枝山王神社の使者として知られています。「新編相模風土記稿」には、下之宮(現辺津宮)の絵馬堂の近くに山王神社がまつられていたようですが、それに奉納する意味でこの庚申供養塔は建てられたのでしょう。』
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人気スポットの恋人の丘「龍恋の鐘」。見事にカップルしかいないので要注意です!(笑)
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