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三戸城大手門跡に鎮座。
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三戸城大手口(表口)守護の稲荷で、初め一段高いベコの鼻に祀られていましたが、そこに物見櫓を建てるため現在地に移されたものです。
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藩政時代は、三戸在住の武士たちから特に尊崇を受けたといわれ、武士仲間で寄進した幟なども保存されています。
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現在も信仰、参拝する者は多く、下在府小路町内の人々によって護持されています。
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社殿内。
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手水石(嘉永6年9月8日)。
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こちらの石は読み取れず。
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石灯籠一対。
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狛犬一対。
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由緒…『門住稲荷は、三戸城第一の要衝大手口守護のため祀られたもので、歴代城主の尊崇は極めて深いものであった。三戸城は八百年の歴史をもつ南部氏の居城で、その領域は、三日月のまるくなるまで南部領と、その広大を謳われたものである。寛永10年(1633)二十八代山城守重直公時代盛岡移城後は、城代により、貞享頃(1684~)よりは代官により祭祀がおこなわれ、明治維新後は下在府小路町内の管理に属し現在に至っている。城山の稲荷と町民に崇め親しまれ、信心するものもすこぶる多く、由緒を尊ばれている。昭和45年4月門住稲荷神社氏子総代』
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