穴守稲荷駅(京急電鉄)。
駅を出るといきなり鳥居です。
個人的には鳥居の向こうに見える「はねだぷりん(手造りぷりん)羽月」「炭火焼やきとり倶楽部」に参拝したい気持ちでいっぱいです。我慢我慢!
鳥居の手前では「コンちゃん」という狐が出迎えてくれます。
駅から神社までは数分で着きますが、稲荷橋や大鳥居などに寄り道しながら穴守稲荷神社へ向かいました。
穴守稲荷神社の入口は正面、左右と3ヶ所ありました。
全部くぐる私。
こちらの看板は境内案内図ではありませんが、この絵を見れば入口3ヶ所がわかりやすいですね。
っていうかこの絵の築山の完成図が凄いですね。
本当にこうなるのかな。怖くて登れないよ。
穴守稲荷神社御遷座50年記念事業「参道整備」敷石境石奉納者芳名。
行事案内。年間分かと思ったら毎月きちんと書いているんですね。
社殿正面。
手水舎。
手水舎木鼻。
手水石。
灯明台(川口穴守稲荷講・灯明料100円)。大雨だったのでやめておきました。
石灯籠一対。
凛々しい狐様一対(昭和39年6月吉日補建)。
穴守稲荷神社の御祭神は豊受姫命。
文化元年頃、鈴木新田(東京国際空港内)開墾の際に、沿岸の堤防がしばしば激浪のために害を被り、ある日堤防の腹部に大穴を生じて海水が侵入。そこで文政元年頃、村民相謀り堤上に稲荷大神を勧請したところ神霊の御加護によって風浪の害なく五穀豊穣したといいます。「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」と神徳を称え、穴守稲荷神社となりました。江戸時代には「穴守」という名前が「穴を(性病から)守る」に通じると考えられて、遊女達の信仰を集めたといいます。明治、大正、昭和時代に最も隆昌に至り、崇敬者は国内は勿論遠く海外にも及びました。昭和20年8月、敗戦という未曽有の大混乱の中、米軍による羽田空港拡張の為、従来の鎮座地(東京国際空港内)より48時間以内の強制退去を命ぜられます。同年9月に地元崇敬者有志による熱意の奉仕によって境内地700坪が寄進され、仮社殿を復興再建し現在地に遷座。それ以来、崇敬者各位の協力により、社殿・奥宮・神楽殿・社務所・展示場・神輿庫・納札所等復興し、目下境内整備を実施中にて、漸次昔の面影を取り戻しつつあります。
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本殿。
長くなったので、『穴守稲荷神社 ~ 其之弐(東京都大田区)』へ続く…
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