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『南部は藩政時代から名馬の産地として知られていました。南部駒の育成に貢献したのが、この場所に屋敷をかまえていた一戸家です。この関根の松は、一戸兵部綱定が邸宅の庭に移植したものと言われています。昭和58年には「日本名松百選」にもとり上げられました。この松は古来多くの詩歌にもうたわれました。江戸中期京より来遊した雪氷山人が「扶桑比すべきなき臥竜の勢する名松」とたたえています。関根の松は、幾多の時代の激動に遭遇しながらも今日もなお、往時の姿をそのままにとどめ、明日の三戸を静かに見つめています。』
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長谷川霜鳥川柳碑「辻々に花この町のいい政治」霜鳥。
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瑞穂の碑。
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第1次農業構造改善川守田土地改良区基盤整備事業記念。着工昭和39年10月10日、竣工昭和40年6月20日、登記完了昭和44年2月20日。
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関根の松。
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県重要文化財(種別:天然記念物(アカマツ)・指定:昭和47年3月15日)。
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日本の名松100選。推定樹齢約400年、樹高約6m、幹周り約2.6m、枝張約16m。
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『伝承によると慶長の頃(1596-1615)、三戸南部家に仕えていた一戸兵部綱定が、一戸から三戸へ屋敷を移す際に移植した松と言われています。一戸家によって代々大切に手入れがなされてきたこの松は、いつしか雄壮な姿へと成長を遂げました。明治14年(1881)、明治天皇の東北巡礼で一行が三戸へ宿泊した際、天皇の叔父にあたる北白川宮能久親王は一戸家を宿としました。この時、能久親王は「関根の松」を鑑賞し、あまりにも見事な松であったことから「翠葉千年の緑、貞節克己の操」と讃えました。皇族が賛辞を贈った松のうわさは瞬く間に広まり、以来、その姿を一目見ようと町内外から多くの人が訪れ、次第に観光名所となっていきました。昭和47年(1972)、関根の松は青森県の天然記念物へと指定、現在も大切に管理されています。平成28年三戸町教育委員会』
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大正頃に撮影された関根の松。
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商業絵師の吉田初三郎が制作した『聖山名久井岳之図(昭和8年)』に描かれた関根の松。
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関根の清水から見上げた関根の松。
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近くに鳥居がありました。
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小祠。
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大物主大神や龍神などが祀られているようです。
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こちらも関根の松の近くにあった三戸郷歌碑(田名部彦一歌・北村季晴曲、明治30年作)。
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一番・二番。
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三番・四番。
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関根の松から三戸城跡(青森県立城山公園)を望む。
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