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目黒川架橋供養勢至菩薩石像です。
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行人坂にありますが大円寺境内になります。
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目黒川架橋供養勢至菩薩石像(区指定文化財・大円寺境内)…『下から台座(97cm)、蓮座(20cm)、頭上に宝瓶のついた宝冠をかぶり、両手合掌、半跏趺坐の勢至菩薩像(52cm)の3段になっています。台座の前面と両側面に、江戸中期における目黒川架橋のことを語る銘文が刻まれています。銘文によると、宝永元年(1704)に西運という僧が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、往復の途中江戸市民の報謝をうけ、両岸に石壁を築いて、雁歯橋を架けたことがわかります。目黒川架橋の史実を物語る貴重な資料です。平成3年3月目黒区教育委員会』
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天台宗松林山大円寺。本尊は釈迦如来。元祖(江戸最初)山手七福神の一つ(開運大黒天)。
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寛永年間に湯殿山修験道の行者大海が創建したのに始まると伝えます。明和9年2月に発生した大火(明和の大火・行人坂火事)の火元となった寺であることから、江戸幕府から再建の許可が得られませんでした。江戸時代後期の嘉永元年になって薩摩藩主島津斉興の帰依を得て、その菩提寺としてようやく再建されます。明治に入り隣接した明王院がこの寺に統合されています。
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大圓寺の指定文化財…『◎鎌倉時代(国重文)…・生身の釈迦如来立像(一躰)・白銅菊花双雀鏡(一面)・結縁交名断簡(三片)◎江戸時代(都重文)…・石佛群五百羅漢像(五二四躰)◎江戸時代(区重文)…・行人坂敷石造道供養碑(一基)・阿弥陀三尊像(三躰)◎藤原時代(区重文)…・十一面観音立像(一躰)。●八百屋お七、吉三の墓碑。●江戸裏鬼門守護開運大黒天。●新東京百景指定(東京都指定)』
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木造十一面観音立像(目黒区指定有形文化財・昭和59年3月31日指定)…『この像は一木彫刻で、表面がかなりやつれ、面相も衣文線も制作当初の鋭い彫りの調子を失っているが、造法も作風も古様を伝えている。やや面長な面相、伏眼がちの眼の表現、細身で長身な体躰等いずれも藤原時代の特色を示し、区内の彫刻の中では最も古い遺品の一つと推定される貴重なものである。昭和59年8月東京都目黒区教育委員会』
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大円寺(天台宗)…『この寺は「松林山大円寺」といいます。寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切りひらき、大日金輪を祀って祈願(いのり)の道場を開いたのがその始まりと伝えられています。本寺には、"生身の釈迦如来"と言われている木造「清涼寺式釈迦如来立像」(国指定文化財)、木造「十一面観音立像」(区指定文化財)、徳川家の繁栄と江戸発展守護のための「三面大黒天像」(山手七福神の一つ)などが安置されています。明和9年2月(1772)、本堂から出火、江戸六百余町を焼き、多くの死者を出しましたが、その供養のために造られた「釈迦三尊・十六大弟子」、五百羅漢の像等の「大円寺石仏群」(都指定文化財)が建てられています。また阿弥陀堂には「木造阿弥陀三尊像」(区指定文化財)や八百やお七の火事にまつわる西運上人の木像、お七地蔵などが祀られています。境内には「行人坂敷石造道供養碑」(区指定文化財)、「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」(区指定文化財)、西運の墓、などがあります。江戸の面影を残している行人坂の景観や老樹古木のしげる境内は緑の自然と古い歴史が薫る静かな美しい浄域を守っています。平成3年3月目黒区教育委員会』
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本堂。
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江戸城の裏鬼門にあたるため、徳川家康をモデルに大黒天を祀ります。
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香炉。
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薬師如来。
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お身体の悪い箇所に御真言をお唱え頂きながら金箔を貼ってご祈願します。金箔は500円也。お顔が一番ピカピカしていました。顔に貼っちゃうよねー!
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観世音菩薩。
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七福神。
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七福神の台座となっている石は目黒川の太鼓橋に使用された石材(1704年)のようです。
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目黒川の太鼓橋に使用された石材標柱。八百屋お七の恋人吉三が名を西運と改めお七の菩提を弔うため江戸市民から寄進された浄財を基に太鼓橋を石の橋にしました。
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鐘楼堂。
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平成21年建立。
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「念仏聖西運上人八百屋お七菩提発願350年忌記念」とありました。
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横にも説明書き…『八百屋お七が1683年に放火未遂の罪で捕らえられ鈴ヶ森刑場で処刑された。その後、恋仲の吉三はお七の菩提を弔う為、出家し僧名西運となり、諸国巡礼後、明王院(現在雅叙園)に入山した。そして、目黒不動尊より浅草観音まで、隔夜日参一万日の念仏行を勤め、弐拾七年と五ヶ月の月日をかけ、念仏行の発願を成し遂げた。明王院は明治の初期に廃寺となり、大圓寺に合併吸収され、その後、西運の願いは「念仏講」として、脈々と現在まで伝えられる。西運の祈りの導きが参百年以上となる今日、記念事業として鐘楼堂が建立された。』
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