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雨の目黒です。
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川せみで腹ごしらえしてから散歩します。
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目黒川にかかる太鼓橋。行人坂の西端になります。
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上流に見える目黒新橋。
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残念ながら桜は咲いておりません。
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下流。
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太鼓橋(江戸名所図会)。
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太鼓橋を渡れば行人坂の坂下。
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橋を渡った所にある椎の木。椎の木の下に石灯篭と案内板があります。
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『●椎の木…椎の木はブナ科の広葉常緑樹で、目黒区の木として指定されている。椎の木は浮世絵師、歌川(安藤)広重(1797-1858)画の〈江戸名所百景-目黒太鼓橋夕日の岡〉(安政4年)中にも描かれている。水と緑に恵まれたここ夕日の岡一帯は、遠く富士の頂をのぞむ美しい自然の名勝として椎の木と共に親しまれてきた。●太鼓橋…太鼓橋は1700年代初頭に木喰上人が造り始め、後に江戸八丁堀の商人達が資材を出し合って宝暦14年(1764)から6年の歳月を経て完成した。広重はこの太鼓橋を浮世絵に描いており、こうしたアーチ形の石橋は江戸の中でも他に例がなく、目黒の欧風文化の第一号とさえいわれたが、大正9年9月1日に豪雨により石橋が濁流にのまれたため、昭和7年架設された。現在の橋は、目黒川流域の都市整備計画により平成3年11月に完成した。』
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目黒太鼓橋夕日の岡(歌川広重・江戸名所百景)。
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目黒雅叙園前。
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雅叙園は細川越中守の屋敷跡であり、一部はかつての明王院跡地。ブラタモリで、三田用水の絡みで雅叙園内の名残りについて放送していましたね。
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お七の井戸。
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『八百やの娘お七は、恋こがれた寺小姓吉三あいたさに自宅に放火し、鈴ヶ森で火刑にされた。吉三はお七の火刑後僧侶となり名を西運と改め明王院に入り、目黒不動浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げた。明王院という寺院は、現在の目黒雅叙園エントランス付近から庭園にかけ明治13年頃まであった。この明王院境内の井戸で西運が念仏行に出かける前にお七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから「お七の井戸」と言い伝えられている。』
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行人坂を上って行きます。
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行人坂。
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行人坂の由来は大円寺にまつわるもので、寛永年間(1624)このあたりに巣食う、住民を苦しめている不良のやからを放逐する為に、徳川家は奥州(湯殿山)から高僧行人「大海法師」を勧請して、開山しました(大日如来堂)。その後不良のやからを一掃した功で、家康から「大円寺」の寺号を与えられました。当時この寺に「行人」が多く住んでいた為、いつとはなしに江戸市中に通じるこの坂道は行人坂と呼ばれるようになりました。
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目黒川架橋供養勢至菩薩石像。
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江戸時代のように富士山は見えませんでした。
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全力坂をするにはちょうどいい勾配かな。
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坂の途中には私の所属事務所もありました。
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ごめんなさい。
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坂上。江戸情緒や由緒に富んだ素敵な坂道でございました。
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