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法光寺(南部町)』からの続き。
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位牌堂の横、赤い鳥居をくぐって本堂の裏手へ向かいます。
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巨木。
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マップには食堂が記されていますが営業していないみたい。
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参道。
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三光稲荷堂の鳥居&参道です。
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三光稲荷堂。
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京都伏見のお稲荷様の分身です。
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稲荷堂内。
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稲荷堂…『京都の伏見のお稲荷様の分身を戴いて奉安しています。尚、前方にタナキ稲荷様が安置しておりますが祈願されたい方々は、願いをこめて参詣し、お稲荷様をだいて見て下さい。願がかなう時は軽く持ち上がり、反対の時は重く感ずるはずです。』
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仏舎利塔(撮り忘れたので写真はパンフレットより)。
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仏舎利塔…『仏舎利(お釈迦さまの御霊骨で日本渡来最古のものと云はれている)は、神奈川県箱根町塔ノ沢にて発掘され、八戸市橋本音次郎氏より寄贈されて仏舎利塔内に安置している。』
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三十三観音も撮り忘れました。ついでにここでパンフレットよりいくつか紹介いたします。まずは三十三観音。明治中期の作で、当山三十世西有穆山禅師、三十七世住職が西国の各札所を巡礼し、本尊の下より土を持ち帰り各々の下に埋蔵しています。
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大達磨の掛軸(霊戒の筆。2.64m×1.7m。霊戒は明治8年生宮古市出身の水墨画大家)。
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極楽図。
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地獄図。
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人間国宝、光月作、五重の塔(33cm)。
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さて、戻ります。
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八角堂守尊水子供養堂。
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八角堂です。
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水子供養のおすすめ…『事情故に中絶された胎児、縁薄く流産の運命にさらされた胎児、母胎内にあって母性愛を信じ安心して発育していたのに突然日の目も見ず、母の名も呼べずにその生命を奪われる時の驚きと悲しみは何にたとえられるでありましょう。闇から闇へと何処へ行くあてもなくさ迷う「不びん」な子又、折角この世に生を受けながら、幾ばくもなく他界する子。このような悲しい憂目に遇った子供達を供養することによって成佛させ、お救い下さる佛様が水子地蔵尊です。小さな霊の安らかならんことを祈念し八角堂守尊水子供養堂を建立しました。昭和60年4月23日。法光37世活眼大典』
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次は観音堂へ向かいます。上から水が流れてきています。
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観音堂鳥居。
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観音堂。
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千手観音です。
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観音堂(昭和54年5月建立)…『奥州南部糠部三十三観音巡礼第十九番札所。法光観音千手観世音菩薩が正面に奉安されています。』
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法光観音堂舎建立記念碑。
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台座…『則誉守西上人。「奥州南部糠部順禮次第」に名久井の内五日市村顧養庵より山寺に行道路嶮難山閑に而風雅万興實離世塵を斯自若守西不堪感吟妄振毫端 初至法光寺花山寂僧堂伽藍錦帷装松杉白泉長煙霧蟠龍兀虫巉岩踞虎狼回顧風景異疑是入仙郷。寛保三年癸亥夏六月十日名久井白花山之於衆寮書す之』
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宝篋印塔、五百羅漢細工供養塔など。
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りんご観音。
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承陽塔へ向かいましょう。
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達者村百景「法光寺承陽塔」。
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池があります。
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マップには蓮池と天女が池。、ひょうたん池とも呼ばれます。
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池の畔にあった祠。
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周囲が自然(杉木立)に囲まれていて素敵です。
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法光寺承陽塔。
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承陽塔(三重の塔)…『承陽塔(三重の塔)は法光寺第三十世西有禅師が明治15年に発願されましたが、諸種の事情によって実現されませんでした。その意志を継ぎ第三十七世活眼大典大和尚により、当時の設計に基づき、高さ106尺(約33m)、幅26尺4寸(約8m)四方の堂々たる承陽塔の建立が進められ、昭和24年6月29日に竣工しました。曹洞宗開祖承陽大師の御霊骨と日本最古の仏舎利を祀り、うっ蒼とした杉木立を背に古雅な風情を漂わせている承陽塔は、大きさにおいて日本一と称せられています。』
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初層。
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開いています。
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常時内部が見れるのは嬉しいですね。五百羅漢像見たいなぁ。
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法光寺三重塔(承陽塔)…『現存する三重塔の規模においては、日本一大きい三重塔である。三重塔の1階には、曹洞宗の開祖道元禅師の御霊骨を祀り、2階、3階には前田道六作の五百羅漢541体を安置している。正面の御尊像が御開山道元禅師のお姿で左奥の御尊像が八戸の生んだ明治時代の傑僧、西有穆山禅師(法光寺30世住職)の像である。このお方の御功績により明治時代に大本山永平寺(福井県)様より法光寺へ御霊骨が分骨されました。禅師の発願によりその意志を継ぎ現住職37世活眼大典和尚の代に建立したものである。起工:昭和22年1月25日。竣工:昭和24年6月29日。設計士:金子清吉(東京)。彫刻士:佐藤光重(東京)。大工棟梁:初代青木金五郎。二代境沢丑之助(三戸)。脇棟梁:北田寿三郎。総高さ:約33米(106尺)。巾:約8米44方。延坪:約39坪半』
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承陽塔前の風景。
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石灯籠一対(昭和31年7月吉日)。
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お次は龍神堂へ。
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巨木も多いです。
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龍神堂。
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向拝下額束。
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堂内。
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縁結びの松&歴代住職の墓へ。
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縁結びの松&歴代住職の墓。
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本堂前に戻ってきました。
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トイレ休憩。三層の立派過ぎるトイレ。
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人間必至の場。
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ちなみに裏に回るとトイレ入口が二層目。凄い造りです。
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今回は名久井岳には上りませんが、最後に登山口にある慰霊碑に向うことにします。
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昭和46年4月吉日建立。
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慰霊碑前の石灯籠一対。
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慰霊碑前の狛犬一対。
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また来たいと思える素敵なお寺でした。ってことで『出合坂(南部町)』へ戻る…えー!
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