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小舟渡海岸。はしかみいちご煮祭り会場。
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階上灯台。
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史跡「観音平と赤石」…『階上町の小舟渡海岸、灯台のあるあたり一帯は観音平と呼ばれ、この下の磯辺が赤石のウタ(浦)と言われている。寺下観音が黄色の牛に乗ってここから上陸された。この牛がいつまでもお供したいと願い出たところ、赤い岩に化身、そのまま置かれたのが赤石(ベコ石)だと言う。干満の差によって波間に浮いたり沈んだり、観音様を乗せて来た昔の姿そのままに、今でも赤石は動こうとしない。この石をまつったのが、赤石大明神である。』
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小舟渡小学校の裏側に海岸へ向う道路がありますが、古老たちはこの道路を塩道と呼んでいます。昔塩田を設け、それより得た塩水を塩釜で蒸発させて塩を精製した場所に通ずる道だったそう。この道路を海岸に出ると前面の海中に赤石と呼ばれる岩が波に見え隠れしています。上記の説明にもありますが、その昔、寺下観音が黄色い牛に乗ってここから上陸。この牛がいつまでもお供をしたいと願い出たところ、赤い岩に化身、そのまま置かれたのがこの赤石(別名ベゴ石)だといいます。
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安永8巳亥年(1779)正月18日の八戸廻濱山根猪鹿狩場絵図。
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赤石(ベコ石)。
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鳥居に向います。
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注連縄代わりの浮き球がいい感じです。
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鳥居の向こうには石碑が3基ありましたが読み取れません。下記案内板で紹介されている津要和尚作の三十三観音石碑かその他の石碑のいずれか。
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丘の上に赤石を祭った赤石大明神の祠があります。
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浮き球の利用が素敵です。
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赤石大明神。
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向拝下。
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祠内。七鞍馬頭観世音。
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赤石大明神(七鞍馬頭観世音)…『鎮座地:階上町大字道仏字廿一。祭神:赤石大明神・七鞍馬頭観世音。例祭:二月拾二日・拾月拾二日。境内仏:四臂如意輪大士、聖観音、塩釜六所大明神、大日如来、千手千眼大士、千手観音大士、妙法蓮華経一字一石ほか。小舟渡海岸のこの一帯を観音平と呼び、この磯辺を「赤石のウタ(浦)」と称してきた。この磯辺に、波に洗われ潮から背中を見せている赤い石があるが、地元では赤石(べご石)と呼んでいる。伝説では、寺下観音が黄色の牛に乗ってこの赤石のウタに上陸したと言われるが、この牛が「いつまでも観音様のお供をしたい」と願い出たところ、「お前は赤石となって仕えよ」とおっしゃられて、赤い石に化身させ、そのまま置かれるようになったのが現在の赤石であるという。昭和50年階上村誌編纂の為に調査した時点では棟札2枚を確認した。その1枚には「昭和拾一年旧二月大吉、福日ニ顕レタリ、請勧妙法七鞍馬頭観世音、御栄式毎年二月拾二日、拾月拾二日トス」とあり、もう1枚には「昭和二十六年九月二十八日、奉勧請赤石大明神、為悦衆生故現無量神力、如日月光明、惟時、奉開眼入魂、信量、謹執」とあった。この地は近世八戸藩の「妙野の牧」の東南の地で、馬の供養と結合して蒼前信仰と共に三面六臂の「馬頭観音」の信仰もあった。御堂の境内には寺下の僧、津要玄梁が自書して切り付けたという「四臂如意輪大士」、「聖観音」などの碑が残されてある。寛保3(1743)年に書かれた「奥州南部糠部巡礼次等」の中に「道佛村ヨリ十町バカリニ小湊村有、此所ノ磯辺ニ赤石ト云海辺ニ津要和尚作ノ三十三観音海辺ノ石ニ彫付テ有、又少シ引上ッテ小堂有、破壊、其上ニ石地蔵切立タル立像有、此所ヲ通リ、小湊ニ至ル、地頭四郎太」とある。この事からも江戸中期以前からこの一帯は観音信仰の強い地蔵であった事がうかがえる。文責正部家奨。平成21年3月階上町・階上町教育委員会』
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歴史ある石碑群。
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聖観音、鹽釜六所大明神。
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大日如来。
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四臂如意輪大士、千手千眼大士。
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その他境内仏。
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赤石大明神の祠の近くに明治29年6月15日の「海嘯死亡者之碑」が建てられており、裏面には21名の氏名が刻まれています。
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観音様が刻まれた石碑。
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海嘯死亡者之碑(明治29年6月15日・三陸大津波・小幡茂義書)。
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海難供養地蔵。
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海嘯死亡者の碑(平成23年11月吉日・階上町建立)。
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こちらの石碑は読み取れず。
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