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十和田市沢田蒼前平。かつての沢田村。沢田氏系図に「(盛岡藩主)利直公、慶長16年10月12日付八百石、其実797石8斗9升5合也を賜ふ、御黒印あり」と見えるように、江戸初期は沢田氏の知行地でした(その後知行地は失われています)。当村は地勢に恵まれ、生内川を利用して早くから開拓されています。寺院として五戸高雲寺末沢田山東光寺(寛文4年僧逸暁開山)、また三日市に白山神社(元禄6年勧請・大山比咩命)が見えます。館にある八幡宮は元禄7年の勧請(御祭神応神天皇)。明治2年には七戸藩・斗南藩に分割統治され、その領域境は不明。同4年にそれぞれ七戸県、斗南県となり、ともに弘前県を経て、青森県所属。同11年上北郡所属。
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そこそこの急勾配を下っていきます。
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下っていくと大きな岩が見えてきます。
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かなりの大きさです。
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もしかしてこちらは裏参道だったのかな。社殿の裏側に出ました。
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社殿前には更に大きな石!
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かなりの大きさです。
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石の中央下部分に窪みがあり、狐が祀られています。十和田村史によると、巨岩が2つも3つも転がっていることで古くから名高い神社であり、明治初年頃は誰も手を入れぬ荒蕪地で、大岩の下には穴を作って狐が棲んでおり、これがついに狐が稲荷ということになり、ここにしきりに祈願の足を運ぶも、ある年の火災に、占卜する者があり、此地に堂を建てて祀れば永く部落を護らんとのことで、やがて今に見る祠が建ったと書かれていました。祭日は旧8月3日。
※「喜久井山、木喰山、木栗沢、吃請沢、どれも俗にキックヒザワ(キッコイジャと訛る)のこと。此所に思ひもよらぬ巨岩が二つも三つも転がつているので古くから名高い。明治初年頃は誰も手を入れぬ荒蕪地で、件の大岩の下には穴を作つて狐が棲んでいたそうである。狐は稲荷の神使といい、これがついに狐が稲荷ということになり、こゝにしきりに祈願の足を運んだが、或る年の火災に、占卜する者あつて言うこと、此地に堂を建てゝ祀らば永く部落を護らんと、やがて今見るような祠が建つた。旧八月三日の祭日に四方の参拝者が踵を接して集つて来る。三十年此方件の大石が次第に下降しているとある。社地は私有地。」
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社殿横にも石がありますが、前後の石が大きすぎて小さく感じてしまいます。
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社殿。
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向拝。
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社殿内。
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社殿前の石碑「正一位稲荷神社」(明治28年3月3日)。
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うん?力石?よく見えませんでした。
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社殿前の風景。
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こちらが本来の参道かも知れませんが鳥居はありません。
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小川があり、橋を渡ります。
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参道横に小さな池があります。占場。
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結構な勢いで水が湧いていました。キッコイジャの水。十和田村史によると三日市地内喜久井山の稲荷神社の項に、喜久井山、木喰山、木栗沢、吃請沢、どれも俗にキックヒザワ(キッコイジャと訛る)とあります。
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伝説を秘めたキッコイジャの水(境内案内板より)…『このキッコイジャとよばれる意味は、誰もよく分からない。ただジャは沢の方言だから、キッコイとはなんだろうか。ここの湧水には「紙うらない」が知られていて紙を捻ったり、浮かべた紙に銭を置いて願い事を念じたのち、浮かべた紙の沈み方をみて占うのである。するとキッコイは「紙うらない」に関する何かが隠されているのだろう。三日市は、白山神社を産土神としている。つまり白山の神に守られた集落である。白山信仰では白山比咩大神を主神として、伊弉諾尊・伊弉冉尊を合わせて祀っている。「日本書紀」の異説の一つに、死んで黄泉の国に赴いていた妻イザナミを連れ戻そうと夫イザナギがやって来たとき、イザナミはすでに黄泉の国の食物を食べて、醜い姿になっていた。そんな体を見せたくないイザナミの「見てはならない」という禁をやぶり、イザナギは見てしまう。もはや離別が決定的となって、二人の言い争いに菊理媛尊がわって入って、何かを告げたという。イザナギはその言葉をほめ、そのあとに禊をしている。白山信仰では、このキクリヒメをシラヤマヒメと同一の神とする。この神話を考慮すると、キッコイはキクリヒメが訛って伝えられてきたと考えられよう。白山比咩は元来が水神の女神である。清らかな水によって穢れを払うとともに、菊理姫のあらたな神徳として願をかなえることが加えられた。キッコイジャは庶民の願いを紙占いにより、五穀豊穣・家内安全・良縁成就・夫婦円満・子孫繁栄などが、お告げとして示されるようになったのではないだろうか。平成24年11月吉日十和田市名水保全対策協議会』
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池の横に小祠があります。
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白山比咩大神かと思ったのですが、両手に宝珠を持った男神像でした。キッコイジャの水関連ではなく、稲荷神社の末社かも知れません。
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再び稲荷神社の裏手から山道を登って、最初の鳥居の近くにあるもう一つの鳥居。
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小さな石祠前には御幣があり、よくわかりませんでした。馬頭観音(蒼前様)かな。
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