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三戸大神宮(三戸町)』からの続き。
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神輿庫。
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三戸大神宮の御神輿は文政9年に盛岡藩第38代藩主南部信濃守利済公寄進のもの。三戸町文化財指定。
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末社。
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向かって右が伊邪那岐大神、左が伊邪那美大神。
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末社毘沙門天社。
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御神徳は北方守護・金運財宝・恋愛成就・病気平癒・勝負事。この地は毘沙門館とよばれ、古くより霊験あらたかな毘沙門天像が祀られています。
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末社稲荷社。御祭神は宇迦之御魂大神。御神徳は商売繁盛・五穀豊穣。
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同じく末社の稲荷社。
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こちらも末社も稲荷社。
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末社近くにある裏参道。
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絵馬殿。
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壁に十二支の絵が飾られていました。
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入口付近にはこのような獅子頭も。
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文化3年(1846)からの貴重な絵馬が納められています。
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神額(渡部道雲)。
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渡部道雲先生について…『三戸大神宮をはじめ、諸所の神社に道雲先生揮毫の社号額、神号額が多く見受けられる。先生は、通称を虎次郎といい、道雲、斗南居士と号した。旧会津藩士で、明治維新後、同藩の斗南移封により三戸に移住した。会津の藩校日新館で漢学及び槍剣の術を学び、書は田名部車川・佐瀬得所・長坂午橋に学んだ。明治6年(1873)三戸小学校創立と共に教師となり、訓導・校長を歴任三戸の教育の基礎づくりに貢献多大である。書家としては、大字を得意とし、その筆勢は巧妙自在、中央の大家と比べ遜色はなかった。嘉永元年~大正6年(1848~1917)行年70歳』
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天の岩戸の図(弘化2年9月吉日)。作者は三戸の絵師石井東江。江戸末期の三戸地方で最も優れた絵師。
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省略しますが、絵馬には丁寧に手書きの説明付いているのがとても有難いです。
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大化の改新の一場面「中大兄皇子、蘇我入鹿を斬るの図」(大正7年奉納)。
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松竹梅に鶴亀の図(縦100cm・横121cm)。文化3年。奉納者松尾十兵衛。絵師の名は無し。
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明治天皇御巡幸の図(縦63cm・横129cm)。作者は川守田月船。松尾十蔵奉納。明治14年8月24日に青森に向かう天皇の行列が黄金橋をご通過する光景。
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日本武尊熊襲征伐の図。大正2年社殿新築記念として御遷宮の日に奉納。作者静卿、奉納者松尾十吉。
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三戸県役所新築記念の絵馬。明治3年。作者は鵜飼東岱。
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六歌仙の図。大正10年霜月吉日。落款は江舟。江舟は東京の女流画家有沢敏子。
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絵馬の他にも色々ありました。
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絵馬殿前にある大神宮碑一対と大黒様。
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紀年銘は宝暦五年九月十五日。
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絵馬殿の横にある松原とおし・ひさ恵の川柳碑…『「どの角度からでも妻の受け応え」とおし・「縄跳びの中でふたりは蝶になる」ひさ恵』。
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裏面碑文…『松原とおし・ひさ恵は、昭和41年から三戸川柳吟社同人として奥昭二氏に師事し、俳句活動に猛精した。後に同吟社の会長・副会長を勤めながら東奥日報柳壇の選者としても活躍。夫婦共に教職を務め、児童生徒に川柳を指導した。その後全国に広がるジュニア川柳のさきがけとなった。(発起人・土地提供者・賛同協力者名省略)平成18年4月28日』
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奥昭二の川柳碑…『「子が走るはしる貧富の翳も無く」昭二』。
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裏面碑文…『奥昭二略歴。大正2年3月20日三戸町在府小路に生まれる。昭和13年三戸町公務員となる。昭和46年3月退職。昭和60年6月1日没。柳歴18歳より俳句活動に入る。不浪人賞を3回受賞。(建立発起人・協賛者名省略)平成4年11月23日』
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市神社。商売繁盛の神。
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向拝下。
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社殿内。
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狛犬一対。大黒様・恵比寿様がおりました。そして中央には川村惣太郎様。市神様は元来、市杵島姫命をさしていますが、大神宮の社家の山崎家では大国主命を祭ったと信じていました。しかし郷土史研究家小井田幸哉氏により、三戸の市日開設の恩人川村惣太郎を祀ったものであることが明らかとなりました。かつては人を神として祀ることは容易ではありませんでした。そこで市神社も表面的には大国主命を祀ったものとしていた可能性があります。
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思案の石。
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思案の石…『重税に苦しむ町民を命がけで救った義人、検断役、川村惣太郎(?~1733)。人々の切なる声を聞き窮乏を見かねた惣太郎は石に腰掛け、日々思案し、単身直訴を決断します。盛岡「中の橋」付近に潜伏すること十数日、藩主の通行中に直訴し、捕らえられ投獄(1711-1715)されました。しかし、その哀願の理由が人々を救済することにあったことが認められ、税は軽減される結果となりました。更に、経済の更生を図るため今に続く市日の開設を成し遂げたのであります。この石に腰掛け、心静かに祈念すれば願いが叶うと言われています。』
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どなたかは存じませんが、このように座ればいいらしいです。
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思案の石の横にある灯篭。
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御神木。
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招魂之碑(明治39年12月建立・参謀総長陸軍大将男爵奥保鞏書)。
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杉原凱先生之墓(明治19年孟冬)。
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会津藩校日新館教授。
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裏面碑文は省略。
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杉原凱先生之墓由来碑。消えかかって読みにくかったので省略。
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会津藩殉難者無縁墓。
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裏面碑文…『明治元年(1868)会津藩降伏、滅藩となる。仝二年賜斗南藩、仝三年陸路海路ににより斗南移住、仝四、五年にかけ疲労等のため死亡する者無数。当時の三戸移住者氏名、死亡者数、墓碑等不詳。ここに会津藩殉難者無縁塔を建てその霊を弔う。昭和五十一年八月二十三日斗南藩史跡三戸三碑修理顕彰会』
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伊勢ノ海部屋所属「越ノ戸濱右衛門之墓」。
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狛犬がいました。阿形のみ。
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恐らく元々は社殿前にあった以前の狛犬でしょう。
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個性的な狛犬ですが状態はあまりよくありません。
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紀年銘も読み取れそうで読み取れず。大正かな。でも現在の社殿前の狛犬も大正だったし…そもそもこの台座がこの狛犬の台座なのかも不明ですが。
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皆集館。
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皆集館近くの石灯篭。
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色々おります。
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蛙と馬。
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小祠などが並んでいました。
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八大龍神。
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隣の碑には「奉納御蒼前 ハタ光之霊祭ル 昭和48年旧4月19日佐々木啓一」とありました。
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庚申塔・二十三夜塔(文化10年6月23日)。
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庚申塔の前には地蔵様と…
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狛犬が。
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これって先程の狛犬の吽形ですね。残念ながら台座は無く、紀年銘はわからず。
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