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青森県八戸市鮫町にある蕪島は大正11年にウミネコ繁殖地として国の天然記念物に指定されています。また、蕪島の頂から周辺斜面にかけて縄文時代早期・前期の土器や、弥生土器・土師器などが発見されており、蕪島遺跡とも呼ばれています。蕪島が陸続きになったのは昭和18年であり、海水面が上昇する縄文海進を考えても、島として存在し、渡海し、狩猟・漁猟の場として凡そ8千年前から利用されていたことがわかります。蕪島の名前の由来は諸説あります。神を祀る場所としての「神嶋」や「神場島」から「かぶしま」になったとも、アイヌ語の「カモメの大岩」という意味の「カピュ・シュマ」からともいわれます。また、春に島全体を黄色く染めるナタネから、昔あった「カブの花」(※ノラナタネ・和種ナタネ)の蕪島と考える人も多いそうです。美濃屋乙因により「日の入りて菜の花花と見ゆるかな」と詠まれ、八戸浦之図によりますと古くから黄色の花が咲いていたことがわかります。
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平成25年5月に三陸復興国立公園に指定。
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ウミネコは毎年2月の節分を過ぎた頃から集まり始め、3月末には3万羽を越えます。4月に産卵、5月に孵化して子育てが始まり、6月末から巣立ち、7月末から徐々に飛び立ち8月上旬には全てのウミネコが蕪島から離れます。ウミネコは「ゴメ」と呼ばれており、弁天様の御使者として、特に漁師や船主から崇められております。また、ウミネコは漁師に魚の群れを知らせてくれるために大切にされています。
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糞に気を付けましょう。
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島は長さ約300m、幅約140m、高さ約19m、周囲約800mの瓢箪型の島。内務省と海軍省の委託工事として昭和17年に旧海軍により2年がかりの埋め立て工事が行われ、本土と陸続きとなりました。大正11年頃の蕪島(下の写真)はまだ埋め立て工事が行われていないため、橋が架けられています。橋は大正8年に架けられたもの。橋が架けられる以前は渡船に頼っていました。『八戸浦之図』には蕪島に渡ることができない時の遙拝場が描かれています。また蕪島の対岸にある巨石上に明神鳥居が建てられていました(現在この場所には八戸市水産科学館マリエントがあります。大岩は、明治以降の八戸港の築港のために砕かれて小さくなり、一時はヘルスセンターが建てられていました。)。
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島の頂上に鎮座する神社名は蕪嶋神社。
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創建は永仁4年(1269)、犬房丸(幕府御家人工藤祐経の子供)がこの地に流され、蕪島が故郷の江ノ島に似ていたところから厳島神社(弁財天)を蕪島の頂上に勧進したのが始まりとされ、以後、犬房丸の後裔である嶋脇氏が氏神として祭祀が行われました。又、一説には永仁4年に海中から弁財天を模った尊像御鏡が出現したことから神意と悟り「蕪嶋大明神本地辨財天」として祀ったのが始まりとも伝えられています。
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御祭神は市寸嶋比売命、宗像三女神、多紀理毘売命、多岐都比売命で「蕪嶋の弁天様」として信仰を集めてきました。ちなみに『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)には「鮫の蕪島には海神厳島神社があるが相殿に高おかみ神を祀り、法領神とも称していた」とあります。宝永3年(1706)、八戸藩3代藩主南部通信が社殿を改築し、男子誕生の子宝祈願を行ったところ見事念願成就し、以来歴代藩主から崇敬庇護され、南部家の御紋の向鶴を社紋として授けられました。明治の神仏分離令により厳島神社に改名するも、平成3年(1991)に厳島神社から蕪島神社に改名。明治7年の廃仏毀釈により弁財天は神ではなく仏であるとのことで海中に捨てられ浮木寺へと移りました。
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平成27年11月5日未明に全焼し、現在は再建中のため立入禁止。
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参道の中ほどにある一対の石灯籠は、地震で崩れた大鳥居の柱を利用して、昭和37年に造られたもの。
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大鳥居は大正時代に地元の青年団が奉納したもので、参道のコンクリート製の階段も、昭和に入ってから青年団の奉仕事業として造られたもの。
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弁財天。
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八戸小唄碑…『唄に夜明けた かもめの港 船は出てゆく南へ北へ 鮫の岬は潮けむり』法師浜桜白書。法師浜桜白の揮毫による一番の歌詞。八戸小唄は市制施行を期に八戸市を全国に宣伝するために作られた新民謡。鮫の石田家で行われた懇談会の席にて、神田市長の提案があり、記者として同席していた法師浜桜白が作詞し、後藤桃水の作曲で昭和6年に誕生。翌年に一般披露され、ラジオやレコードを通して全国に広まりました。昭和48年に正調八戸小唄保存会が中心となって碑を建立。なお、長根総合運動公園内に五番の歌詞を刻んだ碑があります。法師浜桜白は八戸の朔日町に生まれ、本名直吉。
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全国で話題の「かぶあがりひょうたん御守」頒布しております。
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蕪嶋神社新御社殿再建について…『平成27年11月5日未明に発生しました火災により、御社殿及び御神宝、祭器具を失うという想像だにしなかった残念な御報告を市民の方々並びに蕪島を愛して下さる皆様にしなければならなくなったことは、神社と致しまして悔やんでも悔やみきれない痛惜の極みであります。当神社宮司をはじめ責任役員総代一同改めてご心配頂いた皆様方に深くお詫び申し上げます。そして、火災後、神社の再建に向けて、全国からご浄財を賜りまして神社関係者一同、心よりお礼申し上げます。新社殿構想につきまして、当神社は創建720年を迎える歴史や天然記念物ウミネコ繁殖地・三陸復興国立公園としての環境などを踏まえ、市内外の崇敬者の皆様、当神社を愛する方々の想いやお気持ちを受け止め、当神社の未来への新しい道の出発点となるよう検討を重ねたものであります。工事期間中は、ご参拝の皆様方に何かとご不便をおかけ致します。当実行委員会では引き続き奉賛活動を続けながら、蕪嶋弁財天の微笑みのように優しく温かみのある社殿を目指して参りますので、何卒、趣旨に御賛同下さいまして、御奉賛を賜りますよう謹んでお願い申し上げます。』
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完成予定日2020年3月。御奉賛についての詳細は下記HPへ。
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蕪島見取図。①八戸小唄の碑②三陸津浪水位岩(昭和8年3月3日、岩手・青森両県沿岸に大きな被害を及ぼした三陸津波の最高水位が二ヶ所に刻まれています。一つは、八戸小唄の碑の斜右下の岩に西の方位を向いて「津浪・昭和・八・三・三・大西」と刻み、もう一ヶ所は、この岩の右後方約20m位奥の根崎の岩壁の根元に西向きに「昭和八年三月三日・三陸海岸津浪・大西」刻まれ、その時の水位は横30cm位の長さで示されています。建立の経緯は不明。その存在は知られていましたが、小さくて目立たず、東日本大震災の津波で覆っていた土砂が流されて露出。)③平和克復の碑(第一次世界大戦に勝利して平和を取り戻したことを記念する碑。高さ6m。)④海嘯記念碑(昭和8年3月3日の昭和三陸地震の津波で、函館市成田商会の蛟竜丸が碇を下ろしたまま津波の引き潮に流され、蕪島北東の「うしこもね」という岩に打ち上げられ、スクリューを破損して遭難。被災者の慰霊のために蛟竜丸の折れたスクリューを据えて昭和9年11月に建立。)⑤北村古心の歌碑(昭和12年に古心の古稀を記念して俳諧の門弟と友人たちが建立。八戸を代表する書家久保節の揮毫。)⑥大正天皇御即位記念碑⑦海防艦稲木之碑(昭和20年7月に大湊港を出発し、三陸方面への船団護衛に向かう途中の鮫港で攻撃を受け、3時間の戦闘の末に沈没。死者は29人、負傷者は35人。昭和58年8月7日建立。なお、広島県呉市の長迫公園にも「海防艦稲木戦歿者慰霊碑」があるそうです。)⑧蕪島の梵字岩⑨皇太子、同妃両殿下御来島記念樹⑩順宮、清宮両内親王殿下御来島記念樹
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