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七戸町和田下にあった神社。
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御神木に囲まれて、そこそこ立派な建物ですが何かはわからず。社殿内は神仏混淆な雰囲気。この付近では蒼前様が多いのですが果たして…。七戸町町史に「和田の勢至観音と秋葉山大権現のほぼ中間地点にオデンマ様の神社がある。二面四面の建物で、和田フジエ家の管理に属し…」という一文があります。もしかして秋葉山大権現かも。和田の秋葉様は和田の佐々木富也家の管理に属する神社で、秋葉権現と呼んでおり、二聞に二間の大きさの社で、白狐にまたがる烏天狗を御神体としているそうです。明和年間の創建。縁日は旧正24日。ちなみにオデンマ様は、天保7年の「七戸惣郷村口附」に「和田村 天満宮社 観音林あり」と記されていますが、土地の人は天神様ではなく、山の神様として信仰しているそう。いずれにしても中に入れなかったため不明なんですが。内陣上部の御神札(もしくは棟札)が見えればたぶんわかると思います。私には見えません。
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先程の場所から少し離れた場所(同地区)にある鳥居。
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小高い丘へと登っていきます。
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石段は一部ぐらつく場所があったので注意が必要です。
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石段途中にあった明神様の碑。七戸町史によりますと、明神信仰については水神や十和田神社(青竜権現系)が多いとし、「七戸地方の場合、天王・作田・道地・和田・野左掛などで、小さな桐にこれを祀り、そばにささやかな占場を設けている程度で、神名も明らかにしていない。祭神は千曳神社の場合八衢神というが、一般には祭神は蛇と信じ、その絵を奉納しており、蛇にまつわる伝説も伝えている。当町の場合においても同様に祭神を蛇というが…(後略)」などと記されています。※七戸町史に掲載されている写真(和田の明神様)とは異なります。
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和田勢至観音堂。和田の産土神。八尺堂から移し紀ったといわれますが、村では観音様といって拝んできました。七戸町史には「八尺堂の観音様は元寺下の附帯観音であったというが、和田でその上体を祀ったため腰無観音と呼んだという。勢至を観音の名と思い込んでいるのが不思議というしかない。鳥居の額にも同様勢至観音と記されているが何時頃からのことか知る由もない。」とあります。
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立派な社殿です。昭和45年に堂宇と鳥居を改築しているようです。
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どうやら七戸南部三十三観音・東奥三十三所の第二番札所らしいです。
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ちなみに「南部三十三所観音霊場御詠歌」には11番七戸和田観世音とあります。御詠歌「和田の里かき分け見れば観世音大慈大悲の誓い新たに」。
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堂宇内。
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オシラサマ。袂のついた着物を着て女の帽子をかぶっている男神像といいますが、着物を着ているのでよくわからず。村の女たちがオサゴを持って集まり、アソバセルといって祭を行ったそうです。オミキ・オシトギ・赤飯・果物などを供え、新しい着物なども着せたといいます。
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青面金剛の文字塔。高さ61cm、幅22cmの石塔が二段重ねの台石にのせられています。
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中央に微かに青面金剛大権現の文字が読み取れ、上部には庚申の文字が見えます。左下にも何か刻まれていたようですが解読不能。これを地元の人たちは山の神と思ったり、ジンジョ様と思って拝んでいるとのこと。年代は不明。なお、事前の調べでは朱塗の馬の像を祀る馬頭観世音堂があるとのことでしたがわかりませんでした。
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