イメージ 2
青柳1丁目に鎮座。青森市史によりますと、事代主神社はもと善知鳥神社の末社で蛭子堂と称しており、天保7年2月に青森町大町山田源吉及び小館善兵衛の両人が家内安全のため創建したもので、漁師が崇敬していたとのこと。
イメージ 3
イメージ 4
イメージ 5
明治5年頃に蜆見町町民から蜆見町の産土に懇願され遷宮。初めは堤川川尻の中瀬に境内を設けて御堂を建立し祀りました。その後川尻の埋立工事が進むにつれ、境内を拡張、社殿を改修するも、明治43年の青森市大火に類焼。後に復興するも更に昭和20年の青森市戦災に遭い社殿は烏有に帰しました。しかし氏子崇敬者の熱心な努力により、同23年6月18日本殿及び拝殿を新築。
イメージ 6
青森県神社庁HPによりますと…『事代主神社はもともと善知鳥神社の末社で蛭子堂と称していた。寛永18年、青森町奉行森山蔵之助が漁師の大漁祈願の為、勧請し、造営。明治5年頃、蜆貝町町民から蜆貝町の産土神に懇望され、善知鳥神社より蜆貝町に遷宮。当初は堤川川尻の中瀬に境内を設け社殿を建立し祀ったが、その後川尻の埋立拡張工事が進み、社殿を改修、川尻の中瀬の場所より現在の川尻西岸に遷宮。明治6年、村社に列せらる。明治42年、神饌幣帛料供進社に指定。明治43年、青森市の大火にて類焼したが復興。昭和20年、戦災にて、社殿等一切焼失。昭和23年、蜆貝町民の熱心な努力により、現在の本殿、拝殿を新築。』とのこと。
イメージ 7
事代主神社(恵比須神)由緒…『明治5年蜆貝町々民の強い懇望により蜆貝町の産神として、善知鳥神社の末社である蛭子堂を当地に遷宮したものである。この蛭子堂には、蛭子神と共に事代主のご神体を祭っていたため事代主神社と名付けたものである。事代主の神は、事柄、言葉を司さどる神様といわれ、皇室守護の神様として、また豊漁、商工業繁栄の神様として厚く信仰されている。又蛭子神とは伊邪那岐、伊邪那美の御子神であって、一名恵比須神といわれている。恵比須神は漁業の守護神であるが、幸運を釣るという意味から、同じく商工業繁栄の神様ともなり、福神としての性格を持っている。御祭神:事代主神。例祭日:毎月20日月次祭、1月朔日元旦祭、7月19日前夜祭、7月20日例大祭。』
イメージ 8
本殿。
イメージ 9
イメージ 10
本殿前の石灯籠は崩壊していました。
イメージ 11
社号標(大正13年7月奉寄進)。
イメージ 12
手水舎(昭和56年5月・中村正一力工)。
イメージ 13
石灯籠一対(大正14年7月20日)。
イメージ 14
イメージ 15
狛犬一対(昭和27年7月20日・蜆貝町内一同)。
イメージ 16
イメージ 17
イメージ 18
イメージ 19
恵比寿神。
イメージ 20
かなり大きいです。
イメージ 1
イメージ 3
イメージ 2