
御祭神は宇迦御魂命・豊受姫命。


旧市街石神町の古い街並み鎮座し、商売繁盛・産業の発展に御利益があり、江戸時代には南部藩の北の守りが二戸市福岡の呑香稲荷、中央の守りが志和稲荷、そして南の守りが鼬幣稲荷。

元郷社鼬幣稲荷神社由緒…『114代中御門天皇より享保10年6月9日正一位を授けられる。当社は天和元年(紀元2339年)徳川5代将軍綱吉公の時代、南部29代藩主重信公が神託により鼬幣野(現在地)を社地として寄進鎮座す。南部藩三稲荷の一つ南の守護の神とし藩主代々領民の安泰、五穀豊穣、諸願成就を祈願信仰崇敬された。この発祥は「二郡見聞私記」に当時花巻郡代野々村宇右ェ門がある日、夢の中に白髪の老人が白狐にのり「われは稲荷なり汝支配する下根子に垂跡せん。」とのお告げがあった。夢がさめた翌日水ごうりをとり現地に訪れて見ると、石神五郎助の地にある川端の大石に白紙一帳あり、そこへ鼬がはせ来たり、その白紙をくわへ西方に走り出したあとをついていくと白紙は御幣となり、現在の神社の場に置き消え失せた。この神体が鎮座された時、山が二つ割れ清水がわき出たという。現在も本殿の後が割れて、沢になって水がわいて居ります。鼬幣と申所以是也。仙台領胆沢南部領和賀郡を経て天和元年に当所に鎮座。”いなり山 ふもとの早苗とりどりに 神にぞいのる 秋のみのりを”。祭典9月8・9日。昭和62年12月29日鼬幣稲荷神社宮司安藤新一』

手水舎。

拝殿。


拝殿前の狐様一対。


拝殿前に立派な御神木。



山側から水が流れてきています。


拝殿向拝。

懸魚。

社務所に繋がる回廊。


本殿。



立派です。



本殿脇障子。


神楽殿。

熊野神社。


鬼板がありました。

熊野神社拝殿内。

本殿横のお室。


熊野山社。


山ノ神・幸神。

金勢神社。

社殿内。立派な生地に覆われているのはアレ。岩手県には多いです。

鼬幣山水天大龍神(水天大滝神)。



八雲神社。

三宝荒神。

池。

裏参道。

社号標。

日露戦役紀念碑、石造鳥居建設寄附者名碑等。

宮沢賢治ゆかりの地より「阿部孝居住跡(鼬幣稲荷神社)」…『「私の考と阿部孝の考とを/ちゃうど神楽の剣舞のやうに/対照的に双方から見せて/そのかっぽれ 学校へ来んかなと云ったのだ」(詩「塚と風」)阿部孝は、高知大学長を勤めた英文学者で、賢治の盛岡中学校(現盛岡第一高等学校)時代の同級生で親友でした。代々、鼬幣稲荷神社の神主である家の長男でした。阿部孝が東京帝国大学(現東京大学)在学中に、彼の下宿先で萩原朔太郎の詩集「月に吠える」に出会ったことが、詩人・宮沢賢治の誕生に大きな影響を与えたと言われています。』※その他「天神さん」、「さいかち淵」、「地蔵堂の五本の巨杉」についての案内あり。

境内案内図。

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