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私の持っている地図では天照皇大神宮と記されていました。つまりは神明宮ですが。
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御祭神は天照皇大神。
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創建及び由緒わからず。
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社殿内。中央には3つの宮形があり、右は石が見えていました。中央上部に三社託宣。
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横の末社は山神。
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小さい祠ですが木鼻などの彫りが細かいです。
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中はとても綺麗なんですけど…なぜか中央部分にだけ枯葉がいっぱい。
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忠魂碑(昭和9年9月15日・帝國在郷軍人會)。結構大きいです。
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大正天皇御駐輦跡記念碑。
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大正天皇御駐輦(ちゅうれん)跡記念碑…『本蹟は、明治41年9月27日、大正天皇が即位前の嘉仁親王当時、上北地方を親しく行啓、野点御休憩のため御駐輦された地である。このことを記念して、浦野舘村6代村長漆戸潔の代に「大正天皇御駐輦跡」の碑は建てられた。大正天皇は、日本の第123代天皇。諱は嘉仁。幼少時の御称号は明宮。お記は壽。明治以降、初の一夫一妻制をとった天皇である。碑に刻まれた揮毫は、弘前出身の陸軍大将、一戸兵衛によるものである。一戸兵衛は、日露戦争203高地一戸要塞を築いたことで名を上げた軍人。学習院院長・明治神宮宮司・帝国在軍人会会長等を務めている。皇太子殿下が、八甲田連峰を眺望絶賛されたと伝えられる本蹟は、旧浦野舘村の聖地とされた処でもある。盛大な招魂祭や、終戦当時までは在郷軍人、青年学級による剣道・銃剣道の試合等も行われた。現在は町有地であるが、これは、第3代浦野舘村長 町屋金一郎氏の寄付によるものである。以下に裏面碑文を記す。明治四十一年九月二十七日御記輦「大正天皇御駐輦跡」昭和六年四月浦野舘村建設 七戸町川向 石工 畠山吉次郎刻』
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新舘神明宮を離れまして…
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こちらは程近い新舘屋敷添にあった祠。
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馬と天照皇大神宮の神札がありました。
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数mほど離れて横にあった石祠。
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