
みちのく銀行本店の隣りです。

御祭神は宇迦之御魂神。


勝田稲荷神社(境内案内板より)…『草創の一として、元和元年の大坂夏の陣において大坂落城、落人として、同志三人とともに津軽藩二代藩主・信牧公の側室辰子姫(大館御前・石田三成娘)の縁をたよりにして、津軽へ落ちのび、一人は弘前へ、一人の高坂左兵衛は大野村へ、今一人の工藤半三郎は勝田村へと住まいを定め、後年、入植した関弥八郎と協力して勝田新田を開拓するにいたった。そのおり、五穀成就のために勧請したといわれる。<浜田玉川の直指山見性寺の前身・直指庵と由緒あり>。草創の二として、同じく大坂城落城にさいして、大坂方の武将で近江頼義の子・頼光が自分の城の守護神である稲荷神を背負って落ち延びて来て、勝田村の一遇に祠を建て安置したと伝えている。県神社歴に、寛永年間に工藤半ヱ門なる人の手に依って雨乞いの行事が行なわれたとの記載がある。祭神のウカノミタマノカミは、「古事記」には、宇迦之御魂神とされ、この神は、須佐之男神と大山津見の娘…神大市比売との子と記述されている。「宇迦」は「食(うけ)」と同じ意味で食物のことをさし、「百穀の首座」にある稲霊(穀霊)で稲の精霊を神格化して信仰され、基本的な性格は五穀・食物を司る神とされます。「日本書紀」には、伊弉諾尊と伊弉冉尊が国生みに疲れ飢えて気力なくなったときに産んだとされる神で、倉稲魂命と記述されている。全国にある稲荷神社は、約三万社数えられますが、その総本社は、京都の伏見稲荷大社です。稲荷の神というのは、日本人の主食である米の生成をお守り下さる神様です。イナリとは、「稲成り」「稲生り」に由来し、稲がゆたかに立派に稔る様をいい、これを、稲の取り入れ時に刈り取った稲の束を肩に荷なって神に捧げたところから「稲を荷なう」すなわち「稲荷」という字があてられたと言われます。また、倉に稲を運び入れる様を見て、「倉稲の神」との神名を充てられたとも言われます。斯様に、生命の源となる食物、ことに稲は「生命の根」であり「生き根」イネです。私共は、この「食物の魂」のお働きによって生かされているのです。神のお使えの神使として、狐が仕えていますのは、稲の大敵であるネズミの駆除に功績があることから、一緒にそなえまつられるようになったとされます。鳥居は、夜明けを告げる鶏の止まり木を象徴し、トリイの語音は「通る」につうじて、願いごとが通るという意味があるそうです。稲荷鳥居の赤い色は作物が成熟するさまをあらわし、豊年満作を象徴する色とされております。神階の「正一位」に叙された背景は、弘法大師空海に下賜された東寺へ、五重塔造立に際しての出来事が発端となって、「従五位下」の神階に叙せられ、その後、次第に神階は上がり、天慶5年(942)には最高位の「正一位」に叙せられることになりました。日本に仏教が入ってきてから、神仏習合本地垂迹の思想が浸透し、仏教の守護神としても祀られるようになり、曹洞宗豊川閣妙厳寺の佛法守護の善神豊川稲荷のような別系統の稲荷社もございます。神徳…農耕神・建設の守護神として、もともと地域開発、殖産興業の守護神的な性格を持ち、五穀豊穣・諸産業興隆・商売繁盛・除災招福・家内安全・夫婦和合・芸能上達等の徳が得られ、身近なところでは、百貨店・麻雀・煙草の神ともされる。』

青森県神社庁HPでは『草創年不詳、勝田新田の開拓者である工藤半三郎は、大阪落城の落人で、同志三人と共に津軽に落ちのび、勝田村に住居を定め、津軽二代藩主信牧公時代に開墾に従事し、五穀豊穣祈願のため、勧請し再興。工藤半三郎らが開拓した勝田新田(橋本・野脇・奥野)は、明治九年に浦町組に合併されたが都市計画が進められ、現在は市街地となっている。』とあります。


赤い鳥居がいっぱいありますが、1つだけ色や形が異なり、扁額もある鳥居がありました。


手水舎。

社殿左にも参道があります。

社殿。



向拝。

十和田龍神と池。



猿賀龍神と池。



参道狐様三対。


オシャレです。

大正11年4月10日(台座)の狐様。


昭和13年6月10日(台座)の狐様。


昭和60年11月10日(天皇御在位60周年記念)の狛犬。


結構な大きさです。


石灯籠一対。



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