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御祭神は天照大神。
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草創は延宝3年(1675)。かつての惣染堂で、安田安右衛門により下安田村に牛馬安全のため勧請。天明年中に安田村へ移転。境内の権現様由来によると昭和3年に近野321より現在地の近野118ノ2に移転。
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青森県神社庁HPによりますと草創年不詳、延宝3年勧請、享保13年安田村中にて再興。青森平野の西部丘陵上に鎮座し、安政2年神社書上帳によりますと、江戸期には惣染堂とも呼ばれ、明治6年村社、明治41年 神饌幣帛料供進社に指定。
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手水舎(昭和59年8月12日)と手水石(昭和58年8月16日)。
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石灯篭二対(明治19年・昭和11年)。
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こちらの建物は不明。倉庫っぽい。
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御神馬(昭和29年旧8月16日・昭和29年5月3日青森市・大野村合併記念)。
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建物が立派。上部に鳥居が付いてるし。
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狛犬一対。
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台座「昭和40年7月16日、函館市、鈴木繁太郎・仝節」
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拝殿。
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向拝神額。
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本殿。
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招魂堂。
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忠魂碑。
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裏面紀年銘…「明治44年7月3日」。
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馬頭観音堂。
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権現様。
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権現様の由来…『安田神明宮が昭和3年に近野321(旧神明宮跡地)より現在地の近野118ノ2に移転された当時、この地には既に権現様が安置されていました。(明治の末か大正の初めに建立された様だとの事を聞く)信心深い人々の信仰をうけておりましたが、昭和37・8年頃、権現様の御神体が何者かに盗まれ津軽海峡を越え北海道方面に持ち去られたと言う風聞があります。これを嘆いた信仰心の厚い、風晴たよ氏、三橋ナサ氏の両名は御神体をおさめるべく、発起人となり権現様の再興を志し、信奉と信仰心の厚い人々と誘い合わせ奉賛を得て、大野山下地区の石橋技術工芸師による、頭が獅子、尾は竜の新しい権現様をつくり、昭和39年頃安田神明宮へ鎮座させました。この権現様は高い山より見下ろし、悪病悪人を防ぎ、信仰する人々の幸せと併せて五穀豊穣を守護する神であります。その後、風晴たよ氏と三橋ナサ氏の両名は再び、権現様本殿建立に奔走、多くの信仰者の協力、協賛を得て昭和41・2年に宮大工棟梁、風晴徳英氏が精魂を込め大工技能を存分に発揮した本殿を当時15万円の費用を以て建立しました。(棟梁は平成14年7月百歳で天寿全うす)権現様再建に力を尽くした、発起人の風晴たよ氏は平成6年12月22日、83歳を以て、また三橋ナサ氏は平成7年12月31日、80歳を以て共に天寿を全うされております。両名が約30年に及ぶ永い間、権現様に尽力された功績並に鎮守の神々に寄与された功績は誠に大なるものがあります。茲に権現様に対する今後の管理運営について、三上喜栄氏より規約議案が提示され、役員会を開催、平成8年8月31日付けで役員21名を選任、安田権現様の会が結成されました。権現様の御縁日は毎月旧暦14日と定められました。尚、左記の品を奉納致しました。幟3本・提灯2個・紫巾1式・座布団1枚・袢天10枚・しごき10本。今後共、町民各位におかれまして権現様を神明宮の守護の神々と併せてご信奉、ご参礼拝賜りますよう謹んでお願い申し上げます。平成14年8月22日(旧7月14日)安田権現様之会。会長風晴かほる・企画葛西喜美。追記…平成12年7月3日、有志一同(15名)権現様(御神体)並びに前記奉納品を弘前市愛宕山橋雲寺に参拝し、祈祷していただいて参りました。』
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猿田彦大神碑など。
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猿田彦大神の紀年銘は天保14年9月20日。他の2基は判読不能。
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「神明宮」と彫られた碑。
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昭和21年9月16日安田村中。
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日露戦役紀年「天照皇大神宮」碑。
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明治40年旧4月16日建立。
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柴田貞二の「義鑒」碑(昭和9年11月大野村建之)。
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碑文…『柴田君諱貞二東津軽郡大野村之碑人以明治四十一年五月生於其家君為人謹巌実直不啻勤精家業又常致力於公益是以為鄰里所敬愛偶昭和九年甲戌二月二十三日為衆従事於改修村道於細越館地内鋭意採掘土砂誰謂為雪崩所襲忽而逝行年二十有七豈可勝於悽戚乎雖然君殉公誠心與大野村倶伸於無窮頃者有志胥謀経村會決議擇貞珉勒其徳以埀於後昆云爾』
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神社前の風景。高台にあるのがわかります。
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神社の横は墓所になっています。
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聖観世音菩薩石像。
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身代地蔵堂。
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扁額には「安田山身代地蔵堂・昭和54年8月15日・入竺沙門比丘 徳明書」とありました。
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地蔵堂の横にあった百萬遍(昭和6年安田村中)。
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