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常夜燈公園からも近い場所にあります。
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入口にある水神舎(平成10年12月8日)。
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御祭神は水波能売神。浜町全体の氏神として崇敬されています。
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文化5年のある夜のこと、高田屋嘉兵衛の夢枕に、何も言わずにただ苦しげで恨めしそうに立つ水神を見ます。ハッと目覚めた嘉兵衛は余りにも使い過ぎて涸れてしまった野辺地の合船場(造船場)の清水のことを思い出し、早速合船場の船大工である五十嵐彦兵衛に水神宮の建立を依頼しました。水神宮を建立し水神を祀ると清水は再び湧き出し元の状態に戻ったそうです。参道脇の清水は造船に、また、北前船などの飲料水に利用された貴重な水でした。ちなみに享保7年4月27日に野辺地川口に諏訪神社が勧請されていますが、後に当水神宮に移り、明治初年には廃社となっているそう。社殿内に入れなかったのでその後の経緯は不明。
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小高い丘の上に巨木と共に鎮座。
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浜町集会所の建物と繋がっています…
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っていうか集会所の方が面積とってます。
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社殿正面。
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蟇股。
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水神堂碑。
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かつての石燈籠や鳥居の台座。安永の紀年銘が見えます。
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水神宮から少し離れた場所にある豊漁稲荷神社へ。創建不詳。熊谷家の敷地内に鎮座。
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鳥居前に「消防・立入禁止」というテープがありました。崖崩れでもあったのかな。ってことでカメラのズームで社殿だけ。
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豊漁稲荷神社から海沿いに行くと大砲台場跡がありました。
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『大砲台場は、盛岡藩によって安政3年(1856)に築造され、外国の船に備え大砲が置かれていました。現在の新道は、この工事のためにつくられた道路です。明治元年(1868)の戊辰戦争のとき、野辺地を艦砲射撃した新政府軍の船に対し、藩ではこの台場から反撃しています。』
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