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御祭神は宇迦之御魂神。創建不詳。かつての権現山の一部。通称は六六稲荷(ろくろくさま)。6月6日の大祭では成田駅職員も無事故を祈りに来るそうです。
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創建は成田山より古いと云われており、かつては当社を参拝してから成田山新勝寺に詣でたという情報をネットで見つけたものの、それ以外の詳細な由緒等は一切はわかりませんでした。神社自体はそんなに古い感じはしませんでしたが、何らかの形で古くから権現山に祀られていたのかも知れません。さすがに成田市立図書館まで調べに行く気はしません。
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6つの神が祀られているようです。『◆海神・希太樓辰神◆水神・三宝龍神◆伏白山主之神◆伏白大神・姫神◆福城稲荷◆祿ろく稲荷(六六稲荷)』
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三宝竜神。
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水神。
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細い参道。
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急勾配な石段。
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冒頭で由緒不明と申しましたが、ネットで色々と調べていたら唯一由緒について触れていたブログを見つけましたので、そちらを参考にして記事を書きたいと思います。sausalito様ありがとうございます。
参考ブログ:『成田に吹く風
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「尽誠堂病院物語」という小冊子に『一家の主である平野伸が亡くなった後、平野家の後継者である平野スマ子・マチ子が親子二代にわたって神山の麓に、社務所を建て換えて山の神を守った。現在それは「伏白神社」「福城稲荷」、「六六稲荷(通称)」と呼ばれているが、主である平野伸亡き後、平野親子が約七十年間守り続けて現在に至っている。』、『その平野伸だが、東京谷中時代、病気を助けた患者との縁で、現在、JR成田駅の広く線路区域になっている大きな神山(※)を、買わされる羽目となった。当時、一帯は囲護台という地名で九軒ほどの家しかなく、山の周りは閑散とした寂しい沼地だったという。(※神山=神の鎮座する山)』と書かれており、その山は権現山と呼ばれている成田駅東口一帯と繋がっており、西には大きな沼が広がり、山上には小さな石神様があったとのこと。
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大正時代初期には、成田駅は構内拡張に迫られ、平野家の山の一部を取得して工事を行いましたが、事故が頻発して、死者・怪我人が続出する事態となりました。そこで駅長が行者にお伺いを立てたところ、「工事にかまけてお山の神様を粗末に扱ったからだ」との託宣があり、打ち捨てられたようになっていた石神様を平野家の山に戻し、祠を建てて祀ったところ、工事は無事に終了し事故が起こらなくなったそうです。元来からの山の神・石神様についてはわかりませんが、明治以降の経緯は知ることができました。
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福城稲荷・祿ろく稻荷。
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狐一対。
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伏白大神。
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石灯篭一対。
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地主神。
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五輪塔(昭和42年・八幡四郎恒永元安外数十名之靈・平野スマ子建立)・地蔵・石祠(寛政3年)。
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五輪塔を建立した平野スマ子さんの母江栄さんは、平野夫婦に子が無かったため養女に迎えられた方で、とても霊感が強い方だったそうです。ある時から、鎧兜に身を固め、憤怒の表情をした武将の霊が江栄さんに取り付いたため、行者にお祓いをしてもらったところ、この霊は信じていた仲間に裏切られて落命したために強い怒りを持ち続けている武将の霊であると分かりましたが、いくら尋ねても自分の名前を明かしてはくれません。そこで娘のスマ子さんが、深い信仰心をもってこの武将の霊の怒りを和らげ、何とか八幡四郎の名を聞き出して五輪塔を建立したとのことです。
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手水石(昭和2年)。
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御眷属奉安所。
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境内からの眺望。
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境内のすぐ横には線路も見えます。
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