
花松神社由緒…『慶長2年の建立で、宝暦年間の御領分社堂に「小川目花村観音堂二間三間本山派別当三光」とあり、寛政年間の「邦内郷村志」に「観音別当秀光十三石五斗給分」とある。当社の前身は観音堂で馬頭観音を祀り祭祀していたが、天明の大飢饉に農耕・食物・家畜の守護神である「保食命」を勧請し合祀したが明治の神仏分離令により、主祭神を保食とし、社名も花松神社と改め現在に至る。近郷には藩政期時代から牧があったため古くから馬頭観音信仰が盛で近郷近在から多くの人々が着飾った馬を曳いて参詣し絵馬を買い求めて奉納したり、買い求めた絵馬を御神前で神職に御祈祷してもらい、その絵馬を家畜の小屋の神棚に奉納し前年の絵馬は神社に奉納する風習がある(七戸の見町観音の南部小絵馬とは異なる形式のものである)。当社の社頭に「細枝四垂」(ほそえだしただれ)する美しい松があったと云われ、明治の初期頃までは絵馬舎(四尺四方)もあったと云う。又、一説によると、南北朝時代、南朝の長慶天皇(正平23年~弘和2年・1368~1382)が、この地に潜行され、北の牧の守護神として馬頭観音を勧請、堂舎を建立したのが当社の創始とも云われる。』


お知らせ(注:2016年)。

宮司自宅前の小屋。

社号標(明治43年9月吉日)。家内安全・馬牛繁昌。

参道。

手水舎。

手水舎横に占い場がありました。

占場(こよりば)…『4月1日~11月30日。こよりを作って占なってみて下さい。まっすぐしずむと願いがかなうと言われています。』


私の占い結果は微妙でした(笑)

石灯籠一対(明治39年旧9月19日)。


社殿前狛犬二対。

狛犬一対(大正2年9月19日癸丑秋)。


出雲型…では語弊があるかな…出雲構えです。


狛犬一対(安政5午年4月19日)。


社殿。


向拝。

唐破風懸魚。

蟇股。

木鼻。


脇障子が素敵。


神額は廣澤安任敬書!青森県生みの親とも呼ばれる偉人でございます。興味のある方はWikipediaでどうぞ(笑)

拝殿内。馬の絵馬が立派です。

本殿。本殿の脇障子も素敵でした。


参籠所。

社務所。

馬だらけ。

可愛い絵馬です。

天満宮兼絵馬納め所。

末社稲荷神社。

花松伏見稲荷神社とありました。


拝殿内。

花松伏見稲荷の石祠。

無造作に転がっていた石ですが、よく見ると「明治2年42メ」「三十メ目中居由三」などと彫られています。「メ」は貫です。40貫=150kg、30貫=112.5kg。特に案内板はありませんでしたが力石です。



焼納所。

神楽殿。

神楽殿内。権現舞・花松神社神楽保存会とありました。

中央に獅子頭が2つ、その他にもお面や刀や法螺貝や衣装など色々ありました。


神楽殿は閉まっていることが多いので、このようにいつでも見ることができるのは嬉しい配慮ですね。


御神馬再建記念碑(総工費415万円・着工昭和54年4月19日・竣功昭和54年9月19日)。

御神馬再建記念碑前の石祠には恵比寿様と大黒様がおりました。

御神馬(黒龍号)。

大変立派な御神馬でございます。


御神馬台座碑文…『旧御神馬。昭和20年春県庁の命により太平洋戦争に献納せるも平和と神明の加護を祈る氏子の総意により神社の財産の一部を投じて旧台座に再建し黒龍号と命名す。昭和54年9月19日』。

慰霊碑・招魂碑。


慰霊碑・招魂碑前の石灯籠一対。

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