
住吉町会にある住吉身代地蔵尊。隣には公民館。

高杉村は大道筋の西浜街道沿いに集落が発達し、昔から交通の要地でした。慶安2年道筋帳によりますと弘前城から1里半で弘前城下のすぐ次の宿継場であり、十腰内村まで3里。また、脇道として三世寺村から当村を抜けて八幡村へ至る道筋もありました。境内にあるハリギリが推定樹齢200年以上であることから、当地蔵尊の歴史もまた古いものと考えられます。

扁額(昭和47年旧6月24日奉納・弘前市高杉字住吉、小野トスヱ敬白)。

堂内。

化粧地蔵です。とても綺麗にされています。

身代地蔵尊堂の裏に見えるのがハリギリです。


3本が合体したものとはいえ、とんでもない迫力と存在感でございます。


どうなってるの?!って感じ(笑)



そんな疑問が頭を過ぎり…



誰しもが思わず一周してしまうと思います。


どこまで枝伸びてんねん!って勢いで横方向にもこんな感じで伸びています。


反対側も身代地蔵堂の屋根の上を越えて伸びています。管理も大変そうですね。

ハリギリ(弘前市保存樹木、指定第24号・平成9年7月23日)…『青森県内にはハリギリの大木が多く、津軽地域にも珍しくない。しかし、ここのハリギリは三本が合体していると思われ、全体が極めて壮大で特異な樹形をしており、特に枝張りはハリギリの大木が多い青森県内でも最大級である。樹齢推定200年以上』

「故江戸相模白瀧岩五郎之碑」(大正4年旧7月15日建立)。

この近郊にあったものを集めたと思われる庚申塔がたくさんありました。紀年銘については少々読み取り辛いものもありましたが、すべて庚申塔です。


庚申塔(昭和27年旧9月23日)。

庚申塔(大正9年3月14日)。

庚申塔(弘化2年7月朔日)。

庚申塔(弘化3年)。

庚申塔(安政2年6月19日)。

庚申塔(安政4年)。

庚申塔(慶應4年3月)。

庚申塔(天保3年7月16日)。

二十三夜塚(明治33年旧8月23日)。

庚申塔(昭和55年8月15日)。
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