詳細は以前の記事も参照ください。
以前の記事:『大石神社上宮 (弘前市大森)』
案内地図。
赤倉霊場案内略図。
大石神社(下宮)からの地図。
以前は無かった鳥居。
鳥居の昇龍&降龍。
平成26年8月5日(旧7月10日)奉納。
かっこいいですね。
鳥居を潜って行きます。
参道両脇には記念碑や石灯篭もたくさんございます。
一基崩壊していました。
小さな池。
水子観世音堂。
大石神社の湧水。
大変人気の水ですが、珍しく人がいませんでした。
瀬織津姫かな。
龍神御鎮座所と大石川。
川の水がありませんでした。
近くにあった石。
面白い形をしていますが何なのかは不明。蛇かも知れませんし、赤倉からの岩木山登山道を示したものかも知れません。
社殿。
社殿前に色々あります。
古い石灯篭(正徳6年村中)や扇形の手水鉢。
こちらの観音像の石版には「教岳院台丸谷教全」とあります。
こちらは馬頭観世音でしょうか。馬に跨っています。
狛犬一対。
台座…『須藤三右エ門』『慶應元年七月十日』
台座より…『この「こまいぬ」は、二代目須藤三右門が孫衛士が生まれた時病弱な為、無病息災を祈願して慶応元年旧七月十日に奉納したものである。右の通り証明し奉納する。平成九年八月十二日(旧七月十日)(1997年)六代須藤賢一70才・七代長男公基49才・八大公輔22才。参考[系図](生年月日)初代須藤山三郎(不明)・二代三右門(文政14年8月15日)・三代代次郎(天保12年4月7日)・四代衛士(慶応元年5月5日)・五代昌義(明治29年3月31日)・六代賢一(昭和2年4月28日)・七代公基(昭和23年10月25日)・八代公輔(昭和50年9月19日)以上』
向拝下。
絵馬。
拝殿にはたくさんの絵馬が奉納されており、子授け安産の神、縁結びの神、農耕神や牛馬の守護神、竜神、水神としても信仰されており、住民の生活に密接に関わってきたと考えられます。
社殿横の建物。恐らく神楽殿。額束の紀年銘は昭和39年8月9日。
社殿横にあるたくさんの厩。
この馬に乗って淡島神(女性に関するあらゆることに霊験のある神)がやってくるのでしょう。
本殿。
本殿前狛犬一対。ピントずれてる。
昭和59年度厄年者による奉納。紀年銘は同年4月3日。
石造の獅子頭(4月8日)。
本殿裏手にある磐座。千曳岩。千引大明神。古事記では黄泉国には出入口が存在し、黄泉比良坂といい、葦原中国と繋がっているとされるます。伊邪那岐命は亡くなった妻の伊邪那美命を追ってこの道を通り、黄泉国に入ります。変わり果てた伊邪那美命の姿を目撃した伊邪那岐命が、黄泉国から逃げ帰る場面において、追いすがる妻や手下の黄泉の醜女たちを退けるため、最後に黄泉路を塞いだ大石を道反大神といいますが、この大石は千人の力でしか動かせない千曳岩であり、これをもって悪霊の出入りを禁じました。このことから大石神社(千曳岩)は霊界である赤倉の入口、岩木山登拝口の赤倉山霊界に鎮座した境界石(番人石)とも捉えることができそうです。
本殿横の石祠。
御神木の五本杉。
何やら不思議な形をした松があります。
行ってみましょう。
一本の枝だけが不思議な形をしております。金精神…いや、不思議な形の枝です!
枝の周囲には毛のように枯木が絡まり、枝の下には銀の鈴が二つ付けられています。この二つの鈴を鳴らしてお参りするようです。
どの角度から見ても不思議な形をしています。
木の下には不思議な形をした賽銭箱もあります。
紀年銘は平成24年旧7月10日です。
大石神社からの眺望。
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