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古来勢力を誇った乳井福王寺の領地。薬師堂愛宕神社の由緒は不明。
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貞享4年検地水帳に山伏地蔵院と同院抱えの薬師堂(現熊澤神社)があります。この熊澤神社の由緒によりますと、明治の神仏分離によって薬師堂村から相殿として愛宕神と神明宮を遷したと言います。後に両社とも復社。
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この愛宕神は当保食神社であり、神明宮は高畑の神明宮。
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社殿内。
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中央に七福神と龍の像。
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その他にも龍や馬の絵馬などがあります。
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こちらは絵心がありすぎて不明です。
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庚申塔(安政5年)。
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境内には5基の板碑が残されています。
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弘前市HPの説明によりますと、いずれも柱状節理をそのまま使用した安山岩製で、願文や紀年銘などは見られませんが、4基に金剛界大日如来の種子を刻んでおり、建立時期は鎌倉時代末期から南北朝時代と考えられているそうです。
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「陸奥古碑集」によりますと、これらは地蔵堂跡から出たと伝えます。なお、地元では戦国時代の武将の乳井大隅の塚印と伝えますが、歴史的には符合しないそう。
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菅江真澄の「すみかの山」に次のような記述があります。
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「高畑、枝村をすぎて、左方に糠塚があるが、むかしは蝦夷が住んでいた跡であろうか。道のかたわらに古びた五輪塔の形をした石の卒塔婆があるが、文字ははっきり見えなかった。誰の墓であろうか。(中略)薬師堂村のおたぎ(愛宕)の神社の下の辺で、まえに見たふるい碑のあたりは、古寺のあとで、その碑も乳井大隈守の塚のしるしであるという。」
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